プロ野球

甲斐野央、東克樹…再考すべきルーキーを「即戦力」にする風潮

氏原英明

2020.02.15

甲斐野は右肘内側側副靱帯一部損傷により、リハビリ組に回ることとなった。写真:滝川敏之

 「即戦力」の概念を再考しなければいけないかもしれない。

 ソフトバンクの2年目右腕・甲斐野央が右肘内側側副靱帯一部損傷により、1軍本隊から離脱。リハビリ組に回ることとなった。今後は治療に専念して、開幕以降の復帰を目指すことになる。

 ルーキイヤーだった昨季の甲斐野の活躍は誰もが知るところだろう。
 開幕1軍入りを果たすと、開幕戦に中継ぎでプロ初登板・初勝利をあげた。このルーキー一番乗りとなる白星を皮切りに、レギュラーシーズンだけで65試合に登板、2勝26ホールド8セーブをマーク。ポストシーズンでも勝利の方程式に組み込まれて活躍し、一度も登録を抹消されることなく、プロ1年目を走りきった。さらに、シーズン後には侍ジャパンに招集され「第2回世界野球プレミア」で初優勝に貢献している。

 ルーキーイヤーのこれほどの活躍には恐れ入るが、やはり危惧されたのは登板過多である。

 本サイトでも、昨年11月に「ルーキーイヤーに『79登板』…獅子奮迅の甲斐野央にひそむ看過できないリスク」と題したコラムで警鐘を鳴らし、筆者も春季キャンプの見どころ記事で「甲斐野には無理をさせず」という指摘をしている。

 危惧した通り残念な顛末になってしまったわけだが、ここで考えなければいけないのは球界内に蔓延る「即戦力」という危険な言葉だ。
 
 確かに、甲斐野の昨季の活躍だけを見れば、疑いの余地はない。大学を卒業して「即」、プロの「戦力」になっていた。

 ただ、「早く」みたい選手なのか、「長く」見たい選手なのかは、考えなければならないのではないか。

 昨今のプロ野球界は高卒であっても能力の高い選手は「即戦力」と呼ばれる傾向にある。

 松坂大輔(西武)や田中将大(ヤンキース)が1年目から活躍したからそういう風潮が出来上がったのだろうが、松坂や田中といった投手が「毎年、当たり前にいるような選手」なのだろうか。

 あれだけのピッチングセンスがある松坂のような投手はそう多くいないし、田中のようなクレバーな選手はたやすく生まれるものではない。「センス」と「頭」は真似できる要素ではないのに、どの選手も「松坂や田中と同じ」に分類するのは無理があるというものだ。

 さらに言えば、「高卒」「大卒」「社会人卒」と切り分けて考えるのも良くないだろう。

 大卒ならば誰しもが「即戦力」と言えるのか。社会人の中でも大学経由もいれば、高卒社会人という経歴の選手もいて、心・技・体の成長度合いは人によって異なる。

 もっとも、そうした風潮が出来上がった背景には報道する側にも大きな責任があるが、何を持って、「即戦力」という言葉を使うのかは再考すべきだろう。おそらく多くのメディアは、それほど責任を持たずに報道しているケースが多い。「即戦力投手」と見出しを打った方が読まれやすいから自然とその言葉を選択している。

 当然、そうした周囲の声をシャットアウトして、選手の育成に取り組むのがチームの編成や首脳陣の仕事でもあるが、球界内における「即戦力」の概念が出来上がっている現状、そこを打破していくのは簡単なものではない。

 今回は甲斐野について取り上げたが、これはレアケースではない。
 2018年の新人王・東克樹(DeNA)はルーキーイヤーに11勝を挙げる活躍を見せたが、昨季は左肘の状態が思わしくなく、不本意なシーズンに終わった。そして、今年のキャンプに入って、トミー・ジョン手術を受けることが発表された。

 甲斐野、東とも素晴らしい投手であることは間違いない。彼らがルーキーイヤーに見せた打者を圧倒するピッチングには惚れ惚れとしたものだ。

 そうであるからこそ、プロ入りして早い段階からの故障・離脱のニュースは、惜しくてたまらない。

 ソフトバンクは巨大戦力であり、DeNAにはサウスポーがたくさんいる。だから、大きな戦力ダウンにはならない、という話ではないのだ。

 才能のある投手は「長く」見たいのか、「早く」見たいのか。

 球界内の「即戦力」の概念が変化していくことを願うばかりだ。

文●氏原英明(ベースボールジャーナリスト)

【著者プロフィール】
うじはら・ひであき/1977年生まれ。日本のプロ・アマを取材するベースボールジャーナリスト。『スラッガー』をはじめ、数々のウェブ媒体などでも活躍を続ける。近著に『甲子園という病』(新潮社)、『メジャーをかなえた雄星ノート』(文藝春秋社)では監修を務めた。

【PHOTO】艶やかに球場を彩るMLBの「美女チアリーダーズ」!