高校野球

球数制限、金属バット…U18日本代表監督決定の中、浮かびあがる世界との乖離。ここに「全世代 世界一」はあるのか?

氏原英明

2020.02.19

2019年、U18W杯ではメダルなしに終わった日本代表。世界一を目指すために、変えるべきことはあるのではないだろうか?写真:朝日新聞社

 U18の日本代表監督、および、コーチングスタッフが発表された。

 監督の馬淵史郎(明徳義塾/2002年夏)を筆頭に、岩井隆(花咲徳栄/2017年夏)、小坂将商(智弁学園/2016年春)、比嘉公也(沖縄尚学/2008年春)と、春夏の甲子園優勝監督を並べた形だ。

 世界一を狙うために実績のある人たちにしたと見せつけたかのような人選と言えるだろう。それがいわゆる選んだ側の姿勢、方向性というものだ。

 その方向性にとやかくいうつもりはないが、2013年の秋に、「全世代 世界一」を掲げて結束式を行ったことを鑑みると、侍ジャパンU18世代は発想の転換をすべき時期に来ているのかもしれない。

 2013年「株式会社N P Bエンタプライズ」が発足。全てのカテゴリーの監督・選手が一堂に介した結束式を行い、侍ジャパンを旗頭にして、野球界を一つにしていこうという機運を作ろうとした。

 他競技の関係者からすると信じられないかもしれないが、野球界にはプロとアマが断絶していた冬の時代が長くあり、プロとアマは関わってはいけなかったのだ。

 結束式をしたところで全てが取り払われるわけではなかったとはいえ、フル代表の監督・小久保裕紀と、大学日本代表監督の善波達也や高校監督の西谷浩一と同じ場に立つのは奇跡的な出来事だったのだ。

 そして、そのことは、球界内外への変革へのメッセージにはなった。

 その後、今年にイチローが参加したことでも知られる「学生野球資格回復制度」が作られた。それまで、プロ野球の組織に所属した人物が高校野球の指導をするためには一定期間の教諭経験が必要だったが、この制度をクリアするだけで良くなったのだ。

 ただ、そうしてプロとアマの交流が緩くなっていく一方で、世界の野球が変化していることへの対応には後手に回っているのもまた事実だった。
 
 U18世代が一度も世界の頂点に立てていないという単純な結果だけではなく、大会があるたびに課題とされる木製バットへの対応は、世界の野球からの立ち遅れを明らかにしていると言えた。甲子園では金属バットで打球を飛ばしまくっている高校球児は、世界大会へ飛び出した途端、バットがしめる。世界の野球への転換が余儀なくされている。

 加えて、U18の大会は前回大会から球数制限制度が敷かれるようになった。1試合の限度だけではなく、休息設定もあるほどで、起用法への対応もある。世界各国は国際大会にならずとも、球数制限があったり、指導者が選手たちの将来を考えての起用を当たり前のようにしているが、高校野球にはその土壌がなく、常に後手を踏んでいるのだ。

 昨年、韓国で行われたW杯では、日本代表の指揮官・永田裕治氏が冷静なマネジメントができないまま、かつてないほどの陣容を揃えたピッチングスタッフを生かしきれずにメダルなしに終わった。

 永田氏の采配を見ていて感じるのは、彼の資質の問題だけではなく、世界で戦っていくためには、高校野球という狭いフィールドで結果を残しているという選択肢では対応しきれないのではないかということである。U18の侍ジャパンも、元プロへの門戸を開く時期に来ているのではないか。

 近年、元プロの経歴を持つ指揮官が甲子園にも姿を見せるようになった。

 これは2013年の結束式から続いた流れがあってのものと言えるし、だからこそ、そろそろ、世界で戦うための人選というものを考えてもいいのではないか。

 U12代表の仁志敏久氏やU15代表の鹿取義隆氏のように、思い切って、リーダーのトップに元プロをつけるというのも一つの策だろう。あるいは、高校野球の指導をしている元プロから監督を選ぶ、あるいはコーチとして入閣されるというのも一つであろう。

 今回発表された4人のコーチングスタッフの実績はケチのつけようがないのは紛れもない事実だ。

 ただ、現役の高校の監督でもある彼らの目線が世界へ向いているのか問われると、一筋縄ではいかないのではないか。

 次の一手は元プロの入閣。
 世界一を目指す上でも、野球界の変革を推し進める意味でも、検討すべき時に来ているような気がしてならない。

取材・文●氏原英明(ベースボールジャーナリスト)

【著者プロフィール】
うじはら・ひであき/1977年生まれ。日本のプロ・アマを取材するベースボールジャーナリスト。『スラッガー』をはじめ、数々のウェブ媒体などでも活躍を続ける。近著に『甲子園という病』(新潮社)、『メジャーをかなえた雄星ノート』(文藝春秋社)では監修を務めた。