日本高校野球連盟は10月29日の理事会において、有識者会議で提出された「1週間500球以内」の制限を、来年春のセンバツから導入することを正式決定した。
しかし、これに対して、基準が緩いのではないか、と批判が殺到している。考えてみれば、中6日のローテーションが基本のプロ野球では、完投したとしても150球程度。中5日で投げる場合でも最大300球程度。そう考えると、「1週間で500球」は相当緩い基準に思える。
もっとも、プロ野球もかつては、エースピッチャーともなれば先発完投するのが当たり前の時代があった。チームを勝たせるためなら連投するのも当然。例えば1960年代には、たいていのエースは先発だけでなく、中継ぎや抑えも兼任していた。
比較的最近(といっても30年近く前だが)で言えば、西武とヤクルトが戦った92年の日本シリーズにおける岡林洋一(ヤクルト)の奮闘が印象深い。この年、大卒2年目で15勝を挙げてチームの勝ち頭となった岡林は、日本シリーズでもフル回転。第1戦、第4戦、第7戦の3試合に先発し、いずれの試合でも完投。シリーズ全体で30イニングを投げ抜き、特に第1戦と第7戦は試合が延長戦となったため、両試合とも球数は160球を超えた。
だが、その岡林をしても実は「1週間500球」の水準には到達していない。要した球数は全430球。日本シリーズは10日間で行われたために、1週間スパンでの球数は300にも満たない。にもかかわらず岡林は、翌年以降は故障が頻発。2年目までに27勝を挙げていた男が、以降8年で計26勝しか挙げられず、2000年に32歳の若さで現役を引退した。まだ先発完投の風潮は残っていたとはいえ、先発ローテーション制が定着した時代にあっても、故障のリスクはこの通り低くはない。
いや、たとえ「エースは先発完投。リリーフも兼業で連投も辞さない」とされた時代にあっても、1週間500球の水準を超えるのは並大抵のことではなかった。58年の巨人対西鉄の日本シリーズでは、西鉄のエース稲尾和久が全7戦のうち6登板・5連投・4連勝(4完投)と常識外れのフル回転を見せたが、それでも1週間では最大411球だった。
翌59年の日本シリーズで巨人を相手に4連投4連勝(2完投)の離れ業を演じた杉浦忠(南海)ですら、シリーズ全体で436球「しか」投げていない。それでも彼らがのちに故障を頻発させ、選手生命を縮めたことはよく知られている。
これらの事実から、プロの投手たちですら「1週間で500球まで」程度の制限では、故障が頻発する可能性が極めて高いことがわかる。であるならば、彼らよりはるかに若い高校球児たちがこのような制限の下でプレーしたところで、肩やヒジへの負担軽減にはほとんどつながらないことは明らかだ。「この程度の制限はあってないようなもの」との声はすでに数多聞かれるが、歴史の前例もそれを裏付けている。球児たちのためを思うなら、もっと厳格な基準を設けるべきではないか。
文●筒居一孝(スラッガー編集部)
しかし、これに対して、基準が緩いのではないか、と批判が殺到している。考えてみれば、中6日のローテーションが基本のプロ野球では、完投したとしても150球程度。中5日で投げる場合でも最大300球程度。そう考えると、「1週間で500球」は相当緩い基準に思える。
もっとも、プロ野球もかつては、エースピッチャーともなれば先発完投するのが当たり前の時代があった。チームを勝たせるためなら連投するのも当然。例えば1960年代には、たいていのエースは先発だけでなく、中継ぎや抑えも兼任していた。
比較的最近(といっても30年近く前だが)で言えば、西武とヤクルトが戦った92年の日本シリーズにおける岡林洋一(ヤクルト)の奮闘が印象深い。この年、大卒2年目で15勝を挙げてチームの勝ち頭となった岡林は、日本シリーズでもフル回転。第1戦、第4戦、第7戦の3試合に先発し、いずれの試合でも完投。シリーズ全体で30イニングを投げ抜き、特に第1戦と第7戦は試合が延長戦となったため、両試合とも球数は160球を超えた。
だが、その岡林をしても実は「1週間500球」の水準には到達していない。要した球数は全430球。日本シリーズは10日間で行われたために、1週間スパンでの球数は300にも満たない。にもかかわらず岡林は、翌年以降は故障が頻発。2年目までに27勝を挙げていた男が、以降8年で計26勝しか挙げられず、2000年に32歳の若さで現役を引退した。まだ先発完投の風潮は残っていたとはいえ、先発ローテーション制が定着した時代にあっても、故障のリスクはこの通り低くはない。
いや、たとえ「エースは先発完投。リリーフも兼業で連投も辞さない」とされた時代にあっても、1週間500球の水準を超えるのは並大抵のことではなかった。58年の巨人対西鉄の日本シリーズでは、西鉄のエース稲尾和久が全7戦のうち6登板・5連投・4連勝(4完投)と常識外れのフル回転を見せたが、それでも1週間では最大411球だった。
翌59年の日本シリーズで巨人を相手に4連投4連勝(2完投)の離れ業を演じた杉浦忠(南海)ですら、シリーズ全体で436球「しか」投げていない。それでも彼らがのちに故障を頻発させ、選手生命を縮めたことはよく知られている。
これらの事実から、プロの投手たちですら「1週間で500球まで」程度の制限では、故障が頻発する可能性が極めて高いことがわかる。であるならば、彼らよりはるかに若い高校球児たちがこのような制限の下でプレーしたところで、肩やヒジへの負担軽減にはほとんどつながらないことは明らかだ。「この程度の制限はあってないようなもの」との声はすでに数多聞かれるが、歴史の前例もそれを裏付けている。球児たちのためを思うなら、もっと厳格な基準を設けるべきではないか。
文●筒居一孝(スラッガー編集部)