日本唯一の"プロ野球意匠学研究者"として、各種書籍や球団のイベントなど、その活躍は多岐にわたる綱島理友氏。NPBのみならずMLBのユニフォームについての造詣も深い綱島氏に、メジャーリーグならではのユニフォームデザインの魅力について語ってもらった。
前編から続く
「メジャーリーグのユニフォームに興味を持ったのは、日本のプロ野球より先でした。やっぱり最初はアストロズのレインボーカラーのユニフォーム(1975年~。詳細後述)でした。初めて見た時は、『何だこれは!』と本当に驚きました。日本でもカラーユニフォームは出始めていましたが、あのレインボーカラーのグラデーション・デザインは完全に別格だった。『これは実物を見なければいけない』と思いましたね。
それで大学生だった76年に、短期留学でアメリカへ行く機会があったんです。初めてサンフランシスコへ着いたその日に、現地の新聞で試合の日程を調べて、そのままキャンドルスティック・パーク(注:当時のジャイアンツの本拠地球場)へ行きました。時差ボケなんて関係ありません(笑)。とにかく球場へ行きたかったんです。当時はメジャーリーグの情報なんてほとんど日本には入ってこない時代だった。ホテルで球場への行き方を聞くと、『日本人が何しに行くんだ?』と反応されるような時代でした。
「その後、シアトルでの留学が終わってから今度はグレイハウンドのバスでアメリカ大陸を横断して、ヒューストンへも行きました。もちろん、レインボーカラーのユニフォームを見るためです。あのユニフォームはまさに歴史の一大転換点でした。ある意味、70年代のダブルニットによるユニフォーム・カラー化のピークと言ってもいい存在でした。少し前にあのユニフォームをデザインした人の話がアメリカのネットに出ていたんですが、当時は友人にもデザインを担当したことを言えなかったそうです。アストロズから注文を受けた広告代理店に勤める商業デザイナーだったそうなんですが、守秘義務というのではなくて、『なぜこんな酷いユニフォームを作ったのか』と袋叩きに遭いかねなかったから、だと(笑)。
ファンは野球ユニフォームの基本的な形を大事にします。オーソドックスなユニフォームを重んじる。その中で、あのレインボーカラーはあまりにも大胆だった。だから、当時の感覚では受け入れられない人は多かったでしょうね。
ただ、あれは本当にすごいユニフォームでした。鮮やかな色付けが可能なダブルニットという素材が出てきて、70年代に入るとカラーユニフォームが全盛となった。しかしその究極の形は何かと突き詰めたのが、あのユニフォームだったんです。あれは生地を色ごとにつなぎ合わせて作っている。プリントではなく、縫い合わせなんですよ。本当に手間がかかっている。今の昇華プリントの安易なグラデーションを見ても、つまんないなぁと思うけど、当時はこんなことが出来てしまうのかという驚きがあった」
前編から続く
「メジャーリーグのユニフォームに興味を持ったのは、日本のプロ野球より先でした。やっぱり最初はアストロズのレインボーカラーのユニフォーム(1975年~。詳細後述)でした。初めて見た時は、『何だこれは!』と本当に驚きました。日本でもカラーユニフォームは出始めていましたが、あのレインボーカラーのグラデーション・デザインは完全に別格だった。『これは実物を見なければいけない』と思いましたね。
それで大学生だった76年に、短期留学でアメリカへ行く機会があったんです。初めてサンフランシスコへ着いたその日に、現地の新聞で試合の日程を調べて、そのままキャンドルスティック・パーク(注:当時のジャイアンツの本拠地球場)へ行きました。時差ボケなんて関係ありません(笑)。とにかく球場へ行きたかったんです。当時はメジャーリーグの情報なんてほとんど日本には入ってこない時代だった。ホテルで球場への行き方を聞くと、『日本人が何しに行くんだ?』と反応されるような時代でした。
「その後、シアトルでの留学が終わってから今度はグレイハウンドのバスでアメリカ大陸を横断して、ヒューストンへも行きました。もちろん、レインボーカラーのユニフォームを見るためです。あのユニフォームはまさに歴史の一大転換点でした。ある意味、70年代のダブルニットによるユニフォーム・カラー化のピークと言ってもいい存在でした。少し前にあのユニフォームをデザインした人の話がアメリカのネットに出ていたんですが、当時は友人にもデザインを担当したことを言えなかったそうです。アストロズから注文を受けた広告代理店に勤める商業デザイナーだったそうなんですが、守秘義務というのではなくて、『なぜこんな酷いユニフォームを作ったのか』と袋叩きに遭いかねなかったから、だと(笑)。
ファンは野球ユニフォームの基本的な形を大事にします。オーソドックスなユニフォームを重んじる。その中で、あのレインボーカラーはあまりにも大胆だった。だから、当時の感覚では受け入れられない人は多かったでしょうね。
ただ、あれは本当にすごいユニフォームでした。鮮やかな色付けが可能なダブルニットという素材が出てきて、70年代に入るとカラーユニフォームが全盛となった。しかしその究極の形は何かと突き詰めたのが、あのユニフォームだったんです。あれは生地を色ごとにつなぎ合わせて作っている。プリントではなく、縫い合わせなんですよ。本当に手間がかかっている。今の昇華プリントの安易なグラデーションを見ても、つまんないなぁと思うけど、当時はこんなことが出来てしまうのかという驚きがあった」




