今にして思えば、この日が事実上、スーパースターとしての最後の輝きだった。2000年4月10日、ケン・グリフィーJr.(シンシナティ・レッズ)が敵地でのコロラド・ロッキーズ戦で通算400号本塁打の大台に到達した。30歳141日での達成は、ジミー・フォックスの30歳248日を抜いて史上最速記録だった。
当時、ジュニアは球界最高のスーパースターとして君臨していた。87年のドラフト全体1位指名でシアトル・マリナーズに入団すると、89年に19歳でメジャーデビュー。2年目の90年から10年連続でオールスター選出とゴールドグラブに輝き、本塁打王も4回。97年には56本塁打&147打点の二冠王に加えてMVPも受賞し、99年に発表された「オール・センチュリー・チーム」に20代で唯一選ばれもした。
成績だけでなく、華麗なプレースタイルや弾けんばかりの笑顔もファンを魅了した。彼の名を冠したシューズやチョコレート・バー、ビデオゲームが発売され、大統領選で名前が書かれたこともあったほど。オリックス時代のイチローがジュニアに強烈な憧れを抱いていたこともよく知られている。
そのジュニアがマリナーズと契約問題で揉めてトレードを志願し、00年のキャンプ直前に移籍した先が、かつて父シニアが“ビッグ・レッド・マシーン”の一員としてプレーしたレッズだった。
400号を達成した4月10日は、ちょうど父シニアの誕生日で、まさに千両役者ここにあり、というスーパースターの矜持を示した瞬間でもあった。ちなみにジュニアは04年の父の日(6月20日)に史上20人目の通算500号本塁打を達成している。
400号を達成した当時、前人未到の通算800号本塁打を達成する選手がいるとすればジュニアだと、多くの人が考えていた。だが、それは現実とはならなかった。30歳になったのとほぼ時を同じくして、ジュニアの成績は急激に下降線を辿っていった。40本塁打を打ったのは00年が最後。ヒザの故障などで02~04年は満足に試合に出ることすらできず、ハンク・アーロンの本塁打記録を追う役目はバリー・ボンズに取って代わられた。
史上最速の400号到達記録も、05年に元チームメイトのアレックス・ロドリゲスが更新。結局、ジュニアの通算本塁打数は歴代7位の630本にとどまった。偉大な記録であることには変わりないが、全盛期の彼を知る者からすればどこか物足りなさも付きまとう。
それでも、歴代最多の762本塁打を記録しながらも薬物疑惑によるダーティイメージを最後まで払しょくできなかったボンズとは違い、ジュニアはMLB最後の「真のスーパースター」として今も尊敬と愛情を集めている。それは、殿堂入り資格を得た2016年、最高得票率(当時)99.32%でクーパースタウン入りした事実が雄弁に物語っているはずだ。
構成●SLUGGER編集部
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当時、ジュニアは球界最高のスーパースターとして君臨していた。87年のドラフト全体1位指名でシアトル・マリナーズに入団すると、89年に19歳でメジャーデビュー。2年目の90年から10年連続でオールスター選出とゴールドグラブに輝き、本塁打王も4回。97年には56本塁打&147打点の二冠王に加えてMVPも受賞し、99年に発表された「オール・センチュリー・チーム」に20代で唯一選ばれもした。
成績だけでなく、華麗なプレースタイルや弾けんばかりの笑顔もファンを魅了した。彼の名を冠したシューズやチョコレート・バー、ビデオゲームが発売され、大統領選で名前が書かれたこともあったほど。オリックス時代のイチローがジュニアに強烈な憧れを抱いていたこともよく知られている。
そのジュニアがマリナーズと契約問題で揉めてトレードを志願し、00年のキャンプ直前に移籍した先が、かつて父シニアが“ビッグ・レッド・マシーン”の一員としてプレーしたレッズだった。
400号を達成した4月10日は、ちょうど父シニアの誕生日で、まさに千両役者ここにあり、というスーパースターの矜持を示した瞬間でもあった。ちなみにジュニアは04年の父の日(6月20日)に史上20人目の通算500号本塁打を達成している。
400号を達成した当時、前人未到の通算800号本塁打を達成する選手がいるとすればジュニアだと、多くの人が考えていた。だが、それは現実とはならなかった。30歳になったのとほぼ時を同じくして、ジュニアの成績は急激に下降線を辿っていった。40本塁打を打ったのは00年が最後。ヒザの故障などで02~04年は満足に試合に出ることすらできず、ハンク・アーロンの本塁打記録を追う役目はバリー・ボンズに取って代わられた。
史上最速の400号到達記録も、05年に元チームメイトのアレックス・ロドリゲスが更新。結局、ジュニアの通算本塁打数は歴代7位の630本にとどまった。偉大な記録であることには変わりないが、全盛期の彼を知る者からすればどこか物足りなさも付きまとう。
それでも、歴代最多の762本塁打を記録しながらも薬物疑惑によるダーティイメージを最後まで払しょくできなかったボンズとは違い、ジュニアはMLB最後の「真のスーパースター」として今も尊敬と愛情を集めている。それは、殿堂入り資格を得た2016年、最高得票率(当時)99.32%でクーパースタウン入りした事実が雄弁に物語っているはずだ。
構成●SLUGGER編集部
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