チームの「成功の基準」は予算規模や戦力状況、それまでの歴史などによってそれぞれ違う。そうだとしても、究極の目標がワールドチャンピオン獲得にあることだけは共通している。2010年代におけるナ・リーグ西地区5球団の歩みを振り返りつつ、5段階評価の通信簿形式でディケイドを総括してみよう。
※A=よくできました、B=まずまずです、C=可もなく不可もなく、D=がんばりましょう、E=ガッカリです
▼アリゾナ・ダイアモンドバックス
【評価】可もなく不可もなく(C)
暫定を含めてGM、監督とも5人が入れ替わる不安定な10年間だった。ケビン・タワーズGM&カーク・ギブソン監督コンビで迎えた2011年は2年連続最下位からの地区優勝を達成。14年5月にトニー・ラルーサがフロントに入ると、師弟関係のデーブ・スチュワートがGMに就任したが、安易な有望株の放出やY・トーマスとの大型契約など失敗を重ねてわずか1年半でクビになった。後任としてマイク・ヘイゼンが全権GMに就任してからは、若返りを進めつつペナント争いに食い込む健闘を見せている。
18年オフには再契約の見込み薄となった至宝ポール・ゴールドシュミットをカーディナルスへ放出する苦渋の決断を下したが、身の丈に合った経営をモットーにするチームだけにやむを得ないか。迷走しつつも暗黒時代を迎えなかったことを評価するべきかもしれない。
▼コロラド・ロッキーズ
【評価】がんばりましょう(D)
2000年代後半に初のリーグ優勝を含む2度のプレーオフ進出を果たし、10年は4月にウバルト・ヒメネスが球団初のノーヒッターを達成するなどディケイドは明るい幕開けだった。だが、11年から6年連続負け越しと低迷。ヒメネスは11年途中に放出され、攻守の中心だったトロイ・トゥロウィツキは故障で長期離脱を繰り返した。
他方、13年にデビューしたノーラン・アレナードがトゥロウィツキに代わるチームの顔へ成長。カイル・フリーランドら生え抜き先発陣が成長を遂げた17年から球団史上初の2年連続ポストシーズン進出を果たし、18年は17年ぶりに観客動員が300万人を突破した。だが、19年は投手陣崩壊で下位に低迷。すると、2月に7年2億6000万ドルの長期契約を交わしたばかりのアレナードに放出説が浮上するなど、迷走の様相を呈している。
※A=よくできました、B=まずまずです、C=可もなく不可もなく、D=がんばりましょう、E=ガッカリです
▼アリゾナ・ダイアモンドバックス
【評価】可もなく不可もなく(C)
暫定を含めてGM、監督とも5人が入れ替わる不安定な10年間だった。ケビン・タワーズGM&カーク・ギブソン監督コンビで迎えた2011年は2年連続最下位からの地区優勝を達成。14年5月にトニー・ラルーサがフロントに入ると、師弟関係のデーブ・スチュワートがGMに就任したが、安易な有望株の放出やY・トーマスとの大型契約など失敗を重ねてわずか1年半でクビになった。後任としてマイク・ヘイゼンが全権GMに就任してからは、若返りを進めつつペナント争いに食い込む健闘を見せている。
18年オフには再契約の見込み薄となった至宝ポール・ゴールドシュミットをカーディナルスへ放出する苦渋の決断を下したが、身の丈に合った経営をモットーにするチームだけにやむを得ないか。迷走しつつも暗黒時代を迎えなかったことを評価するべきかもしれない。
▼コロラド・ロッキーズ
【評価】がんばりましょう(D)
2000年代後半に初のリーグ優勝を含む2度のプレーオフ進出を果たし、10年は4月にウバルト・ヒメネスが球団初のノーヒッターを達成するなどディケイドは明るい幕開けだった。だが、11年から6年連続負け越しと低迷。ヒメネスは11年途中に放出され、攻守の中心だったトロイ・トゥロウィツキは故障で長期離脱を繰り返した。
他方、13年にデビューしたノーラン・アレナードがトゥロウィツキに代わるチームの顔へ成長。カイル・フリーランドら生え抜き先発陣が成長を遂げた17年から球団史上初の2年連続ポストシーズン進出を果たし、18年は17年ぶりに観客動員が300万人を突破した。だが、19年は投手陣崩壊で下位に低迷。すると、2月に7年2億6000万ドルの長期契約を交わしたばかりのアレナードに放出説が浮上するなど、迷走の様相を呈している。