メジャーリーグといえば、プレーの豪快さはもちろん、日本では想像のつかないようなトラブルが起きえることも魅力の一つ。現地17日、ウェブメディアの『ブリーチャー・レポート』が「史上最も奇妙でおかしな故障」を特集している。メジャーリーガーの“ぶっ飛び”ぶりの一端を垣間見える面白エピソードをいくつか紹介しよう。
①ジョージ・ブレット(カンザスシティ・ロイヤルズ)1983年/左足つま先の骨折
ブレットはロイヤルズひと筋で21年プレーして通算3154安打、史上唯一の3ディケイド(1976年、80年、90年)で首位打者を獲得した殿堂入りプレーヤーだ。しかし、そんな大打者も、とんでもない故障をやらかしている。
1983年6月7日、ブレットは自宅で洗濯をしていると。別の部屋から「次の打者はビル・バックナーです」というテレビ中継が聞こえてきた。親友バックナーの打席は見逃せまいと急いで部屋に行こうとしたその時、ドアに左足をぶつけてつま先を骨折。3週間の離脱を余儀なくされた。もっとも、さすがは天才打者。その年は123試合に出場して打率.315、リーグ1位のOPS.985を記録するなど、怪我を忘れさせる活躍を見せた。
② グレナレン・ヒル(トロント・ブルージェイズ)1990年/手足の擦り傷+アザ
メジャー13年で186本塁打を放った外野手のヒルはメジャー2年目の1990年、就寝中に突然、悪夢にうなされた。その夢というのは、大嫌いな蜘蛛に追いかけられ続けるというもの。恐怖のあまりベッドを飛び出したヒルは、他の部屋に猛ダッシュ。ガラス製のテーブルを蹴っ飛ばして、手と足に傷やアザをつけながら……。そして翌日から3週間、戦線を離れることになった。
③スティーブ・スパークス(ミルウォーキー・ブルワーズ)1994年/左肩脱臼
自ら「馬鹿げた故障ランキングがあったら、間違いなくトップに来る」と“自画自賛”するのがスパークスだ。1994年のスプリング・トレーニングで球団がさまざまな芸を披露する一団を招いたのだが、彼らが見せた芸の一つに分厚い電話帳を真っ二つに引き裂くというものがあった。
翌日、雨で練習が暇になったこともあり、スパークスを含む3人が挑戦。簡単に破けると思ったそうだが、全然破けない。すぐあきらめた2人と違い、挑戦を続けたスパークスは何と左肩を脱臼(!)。メジャー昇格は1年先延ばしになってしまった。ナックルボーラーだったスパークス、故障の仕方も“斜め上“だった。
①ジョージ・ブレット(カンザスシティ・ロイヤルズ)1983年/左足つま先の骨折
ブレットはロイヤルズひと筋で21年プレーして通算3154安打、史上唯一の3ディケイド(1976年、80年、90年)で首位打者を獲得した殿堂入りプレーヤーだ。しかし、そんな大打者も、とんでもない故障をやらかしている。
1983年6月7日、ブレットは自宅で洗濯をしていると。別の部屋から「次の打者はビル・バックナーです」というテレビ中継が聞こえてきた。親友バックナーの打席は見逃せまいと急いで部屋に行こうとしたその時、ドアに左足をぶつけてつま先を骨折。3週間の離脱を余儀なくされた。もっとも、さすがは天才打者。その年は123試合に出場して打率.315、リーグ1位のOPS.985を記録するなど、怪我を忘れさせる活躍を見せた。
② グレナレン・ヒル(トロント・ブルージェイズ)1990年/手足の擦り傷+アザ
メジャー13年で186本塁打を放った外野手のヒルはメジャー2年目の1990年、就寝中に突然、悪夢にうなされた。その夢というのは、大嫌いな蜘蛛に追いかけられ続けるというもの。恐怖のあまりベッドを飛び出したヒルは、他の部屋に猛ダッシュ。ガラス製のテーブルを蹴っ飛ばして、手と足に傷やアザをつけながら……。そして翌日から3週間、戦線を離れることになった。
③スティーブ・スパークス(ミルウォーキー・ブルワーズ)1994年/左肩脱臼
自ら「馬鹿げた故障ランキングがあったら、間違いなくトップに来る」と“自画自賛”するのがスパークスだ。1994年のスプリング・トレーニングで球団がさまざまな芸を披露する一団を招いたのだが、彼らが見せた芸の一つに分厚い電話帳を真っ二つに引き裂くというものがあった。
翌日、雨で練習が暇になったこともあり、スパークスを含む3人が挑戦。簡単に破けると思ったそうだが、全然破けない。すぐあきらめた2人と違い、挑戦を続けたスパークスは何と左肩を脱臼(!)。メジャー昇格は1年先延ばしになってしまった。ナックルボーラーだったスパークス、故障の仕方も“斜め上“だった。