プロ野球

侍ジャパンの4番もそうだった…アマチュア野球ウォッチャー西尾典文が選ぶ「予想以上にプロ野球で成功した選手」とは?

西尾典文

2020.05.24

鈴木(左)は二松学舎では投手も務めていた。中島(右)は15年に盗塁王に輝くなどプロ入り後に大成した。写真:田中研治、徳原隆元

 選手の特徴をメモしながらアマチュア野球を見るようになったのは、自分が大学野球を引退した2001年秋からのことだ。残っている最も古いノートはその年の高校野球近畿大会を記録したものである。ちなみにこの大会は報徳学園高の大谷智久(現ロッテ)が評判で、吉見一起(金光大阪高/現中日)も出場しており、2人のピッチングは今でもよく覚えている。

 一方、アマチュア時代は特に強い印象が残っていないにもかかわらず、プロで一流になった選手も多くいる。

 現在、日本球界最高の野手と見られている鈴木誠也(広島)もその一人だ。二松学舎高にいた鈴木のプレーを初めて見たのは10年秋の都大会、対片倉高戦だった。1年生ながら背番号1を背負い、5番ピッチャーで出場。7回を投げて被安打1、無失点、7奪三振でチームは7回コールド勝ちした。当時のメモには「投球フォームが粗削りで、テイクバックで腰を捻る動きが入り、腕も背中に入ってリリースも安定しない」と書かれている。バッティングに関しては、「形は悪くないが力任せ」という記載のみ。結果も4打数ノーヒットに終わっている。
 
 鈴木は翌年6月に行われた東京都選抜チームに2年生ながら選出され、第2試合で5番手として登板しているが、打席には立っていない。投手としては「前年秋よりもボールに角度出てきて緩急を使える」という記載はあるが、この日の最速は138キロ。先発した1学年上の吉本祥二(足立学園高/2011年ソフトバンク2位)の148キロと比べても10キロ遅く、まだまだという印象が強かった。

 鈴木はこの年秋の都大会、日大二高戦でも4番ピッチャーとして出場し、6安打1失点で完投勝利をマークしたが、打つ方は犠牲フライ1本のみでノーヒットに終わっている。3年時にはプロが野手として評価しているとの評判は聞こえてきていたが、まさか2位で指名されるとはまったく思っていなかった。投手として注目していたからということもあるが、打撃の印象が強く残っていないのが残念でならない。