プロ野球

これも仰木マジック? 「イチロー」から始まったプロ野球“ユニーク登録名”の系譜

筒居一孝(SLUGGER編集部)

2020.05.29

仰木監督(中央)の発案で生まれたイチロー(左)やパンチ(右)のようなユニークな登録名は、今では球界のスタンダードになっている。写真:朝日新聞社

 本日19時から、NHK BS1『あの試合をもう一度!スポーツ名勝負』で、1995年5月3日のオリックスvsダイエー戦が放映される。阪神・淡路大震災からの復興を目指し、「がんばろうKOBE」をスローガンに11年ぶりのリーグ優勝を果たしたこの年、オリックスにはユニークな登録名の選手が2人いた。1人は言わずと知れたイチロー、もう1人は助っ人外国人選手のD・Jである。

 イチローは前年、仰木彬監督の発案で登録名を本名の「鈴木一朗」から変更。すると、史上初のシーズン200安打を達成するなど大ブレイクを果たし、その名は一気に日本中に浸透した。日本で2番目に多い姓の「鈴木」ではなく下の名前、しかもカタカナ書きの「イチロー」として売り出したのは、"仰木マジック"の一つだ。イチローと同時に、ユニークな発言で人気を集めていた佐藤和弘の登録名をトレードマークのパンチパーマにあやかって「パンチ」に変え、セットで売り出したのも仰木監督の上手さだった(パンチは94年限りで引退)。

「D・J」も珍しいパターンだった。それまで、助っ人外国人が本名以外の登録名を使用する時は愛称かファーストネームがほとんどだったが、「D・J」は本名のダグ・ジェニングス(Doug Jennings)のイニシャルを登録名にしたもの。79年に南海に入団したフランク・オーテンジオが「王貞治以上に活躍してほしい」という願いを込めて、「王天上」と名乗って以来の珍登録名と言える。ちなみに、96年には近鉄に入団したクリス・ドネルスが「C・D」の登録名を使用している。

 それはともかく、イチローが国民的ヒーローとなったことで、日本人選手がユニークな登録名を使うパターンが急速に広がっていく。
 
 95年には早くもロッテのルーキー大村三郎が登録名を「サブロー」に変えている。のちに沢村賞を2度獲得する斉藤和巳も、ブレイク前の96~99年は登録名を「カズミ」にしていた。カタカナにしないまでも、下の名前を登録名にする例は今でもよくあり、現役では銀次(楽天)が代表格。現在は本名に戻したが、後藤駿太(オリックス)と甲斐拓也(ソフトバンク)は、17年までそれぞれ「駿太」と「拓也」が登録名だった。

 変わった例では、05~16年に投手として中日に在籍した「雄太」がいる。本名は川井進なのだが、この本名とは似ても似つかぬ登録名を、引退してスカウトになった今でも使用している。

 また、04年に日本球界へ復帰した新庄剛志(当時日本ハム)が登録名を「SHINJO」にしたのをきっかけに、アルファベットを使用した登録名も登場する。同じ年、西武の新人選手だった佐藤隆彦が「G.G.佐藤」の登録名を使用。西岡剛も07年に1年だけ「TSUYOSHI」の登録名を使っていた。後藤武敏はDeNA時代に愛称の「ゴメス」を意味するGを、「後藤武敏G.」(15年)、「後藤G武敏」(16年)、「G.後藤武敏」(17年)と毎年あちこちにつけていた。

 こうして見ると登録名は好きに付けられるのかと思いきや、そうでもない。97年、巨人がリリーフ左腕の河野博文の登録名を、風貌が北京原人に似ていることからついた「ゲンちゃん」の愛称に変更しようとしたところ、セ・リーグの理事会から「『ちゃん付け』は不謹慎」というよく分からない理由で却下されてしまった。割と自由に見えても、一定のルールは存在するようだ。

文●筒居一孝(SLUGGER編集部)

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