プロ野球

今も記憶に残る「ジャスティス」の剛速球…アマチュア野球ウォッチャー西尾典文が選ぶ「事前情報なしで衝撃を受けた選手」とは?

西尾典文

2020.05.31

「ジャスティス」の異名を取り、ドラフトでは5球団が競合した田中。プロでは苦しんでいるが、大学時代の投球は圧巻だった。写真:朝日新聞社

 アマチュアの試合に足を運ぶ時は、多くの場合はお目当ての選手がいるものだが、その試合で初めて存在を知って驚かされることもある。個人的に最も嬉しくなるのがこのようなケースだが、今回はそんな事前情報なしで観戦して衝撃を受けた選手について振り返ってみたいと思う。

 筆頭は田中正義(ソフトバンク)だ。2014年4月、東京新大学野球春季リーグ戦の開幕戦、創価大と共栄大の試合での出来事である。この日のお目当ては創価大のキャッチャー、寺嶋寛太(元ロッテ)。当時のチームには田中の一学年上に小松貴志(現日本新薬)という絶対的エースがいたため、この日もてっきり小松が登板するものだと思っていたところ、先発マウンドに上がったのがリーグ戦デビューとなる当時2年生の田中だった。

 会場となった大田スタジアムは投球練習中もスピードガンが表示されていたが、田中の投げた初球がいきなり146キロをマーク。そして試合が始まると151キロまでアップし、共栄大打線をわずか4安打、11奪三振で完封してみせたのだ。田中はこの後の大学選手権や3年時に行われたプロとの交流戦での快投でドラフトの目玉となっていくが、そのスタートとなったのがこの試合だったことは間違いないだろう。
 
 なお、後日ノートを見返していたら、実は田中の投球を見たのはこの日が初めてではなかった。12年7月に行われた創価高と都立川高の試合で田中は背番号8をつけて4番・センターとして出場。7回から1イニングだけ登板しており、ノートには「投手として鍛えれば大化けの可能性も」とあったが、田中というよくいる苗字ということもあってか、その存在を完全に忘れてしまっていた。プロでは故障で思うような結果を残せていないが、大学時代の快投が忘れられないファンも多いはずだ。

 澤村拓一(巨人)も大学でドラフト上位候補となった選手だが、高校時代に初めて見た時の印象が強く残っている。04年9月の秋季栃木県大会、佐野日大高と国学院栃木高の試合のことである。当時1年生で背番号10をつけた沢村は、同点で迎えた2回途中から登板し、負け投手となったもののロングリリーフで好投を見せた。

 ただ、この時のイメージは今とはまったく違う。ノートにも「流れがスムーズな流麗なフォームでヒジが柔らかく使え、力みなく球持ちも長い。雰囲気は涌井(秀章/横浜高)に近い」とある。現在のパワーピッチングとはまったく違うのがこのメモからもよく分かるだろう。ちなみにこの日の最速は133キロだったが、それでも良さは十分に伝わってきた。その後も高校時代の澤村のピッチングを2度見ているが、一番良かったのはこの試合である。イメージしていた成長とは違ったが、体力強化が投手を大きく変えるということを教えてもらった例と言えるだろう。