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MLB

強烈な競争心と熾烈なファイティングスピリットで打者と対峙した名投手…『さらばヤンキース』に描かれたボブ・ギブソン

豊浦彰太郞

2020.10.09

名著『さらばヤンキース』は64年のワールドシリーズを描いた作品。ギブソン(写真)が準主人公的存在として描かれている。写真:

名著『さらばヤンキース』は64年のワールドシリーズを描いた作品。ギブソン(写真)が準主人公的存在として描かれている。写真:

 10月2日、1960年代を代表する名投手で、81年に殿堂入りも果たしたボブ・ギブソンが鬼籍に入った。享年84歳。

 彼の栄光には、枚挙にいとまがない。カーディナルス一筋17年で通算251勝(174敗)で、1971年にはノーヒッター。サイ・ヤング賞には2度選出されているが、中でもMVPと同時受賞の1968年の快投は球史に残る。22勝もさることながら、防御率は飛ぶボールが採用された1920年以降で最も低い1.12だった。輝かしいキャリアはレギュラーシーズンだけにとどまらず、ワールドシリーズには3度出場して2度MVPを受賞。投球後は一塁側に激しく倒れ込む豪快な投球フォームから剛速球とスライダーを投げ込み、通算9度ゴールドグラブに輝くなど守備にも優れていた。そして、打っても通算24本塁打とまさにオールラウンドなアスリートだった。

 デビッド・ハルバースタムの名著『さらばヤンキース』(原題『October 1964』)によれば、「ギブソンを際立った存在にしたのは、その強烈な競争心と、熾烈なファイティングスピリットと、どの打者に対しても一球ごとに勝負を挑む意志の強さだった」。ギブソンはしばしば意図的に打者に死球をぶつけた。犠牲バントは許容したが、ベースヒットを狙うバントに対しては、次の打席で報復投球に及ぶことがあった。また、勢いに乗ってどんどん投げ込まなければ気が済まず、一球ごとに打席を外す打者も何度となく餌食になった。
 
 また、彼は球宴に9度も選出されているが、オールスターゲームは大嫌いだったという。普段は敵愾心を燃やして対峙している他球団の選手からヘラヘラと話しかけられるのが我慢できなかったからだ。「ギブソンの野球の才能は、ギブソンという人間と切り離しては存在しないのである。(中略)相手チームが戦いを挑むとき、投手ギブソンだけでなく人間ギブソンとも対決しなければならない」。

 このような並外れた闘争心が育まれたのは、15歳離れた長兄の影響が大きかったとされている。歴史学の修士号を取りながら黒人であったがために教職に就けず、精肉加工場の職に甘んじた兄は、運動能力が優れた弟に期待をかけ、厳しく接したという。

 47年にジャッキー・ロビンソンが人種の壁を打ち破った後も、黒人選手は偏見や差別に苦しんでいた。当時の黒人選手は、たとえギブソンのようなスターであっても、フロリダでの春季キャンプでは白人と同じホテルに泊まることができず、現地の黒人有志から下宿部屋の提供を受けねばならなかった。ギブソンはマイナー時代に「このワニのエサめ!」と罵声を浴びせられたこともあったという。これは昔、南部でワニ狩りの際に黒人をロープで釣り、エサとして沼に放り込んでいたという言い伝えに基づいた表現だ。

『さらばヤンキース』では、ギブソン以外にもさまざまな選手や監督、GMやアナウンサーなどが登場し、それぞれの人生やキャリアが描かれる。その意味で、この本が描いているのは当時のアメリカ社会そのものであると言っても過言ではない。中でもギブソンは、当時のアメリカが抱える葛藤を象徴する存在だった。その彼が、人種差別をめぐる問題が再び過熱している年に亡くなったことには、数奇な運命を感じずにはいられない。

文●豊浦彰太郎

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