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史上最強チーム“ビッグレッド・マシン”の核弾頭、名二塁手ジョー・モーガンが77歳で逝去

SLUGGER編集部

2020.10.13

小柄ながらたくましい体格で走攻守すべてに優れ、史上最高の二塁手ともいわれている。(C)Getty Images

小柄ながらたくましい体格で走攻守すべてに優れ、史上最高の二塁手ともいわれている。(C)Getty Images

 またも往年のレジェンドが1人、鬼籍に入った。1970年代に2度MVPを獲得した史上最高の二塁手、ジョー・モーガンが、11日にカリフォルニア州の自宅で亡くなった。享年77歳。

 モーガンは63年にアストロズと契約し、同じ年、20歳の誕生日の2日後にメジャーデビューした。最初の2年間はほぼマイナー暮らしだったが、メジャー3年目の65年に正二塁手に定着。157試合に出場して打率.271、14本塁打20盗塁に加えてリーグ最多の97四球を選んだが、新人王投票ではジム・ラフィーバー(当時ドジャース、73~76年にはロッテオリオンズに在籍)に惜しくも敗れた。その後も俊足と抜群の選球眼を武器に活躍し、71年オフにレッズへトレードで移籍した。

 当時レッズを率いていた名将スパーキー・アンダーソンがモーガンの獲得を希望したのは、チームに欠けていたスピードを補うためだったが、レッズ移籍後のモーガンは4度の20本塁打を放つなど、長打力にも開眼。さらに73年からは5年連続でゴールドグラブ賞に輝くなど、走攻守三拍子そろったトータルプレーヤーとして活躍。史上最多の通算4256安打を放ったピート・ローズや、捕手で史上唯一本塁打王のタイトルを獲得したジョニー・ベンチ、通算348本塁打のジョージ・フォスターらが揃う強力打線“ビッグレッド・マシン”の切り込み隊長として、チームを75~76年に2連続で世界一に導き、両年ともMVPを受賞した。
 
 80年には古巣アストロズに復帰して地区優勝に貢献。その後はジャイアンツ、フィリーズ、アスレティックスと渡り歩いて84年に引退。この年、背番号8がレッズの永久欠番に指定された。二塁手として放った通算266本塁打は、96年にライン・サンドバーグに抜かれるまで歴代トップの数字だった。90年には資格1年目で野球殿堂入りを果たしている。

 引退後もABCスポーツやNBCスポーツ、ESPNなどで20年以上にわたって名物解説者として活躍し、名著『マネー・ボール』にも登場している。同書では出塁率を重視するアスレティックスの戦術に否定的な“守旧派”として描かれているが、現役時代のモーガンはリーグ最多四球と最高出塁率を4度ずつ記録し、シーズン100四球は8度と、“マネー・ボール”の価値観に照らしても理想的な選手だった。

構成●SLUGGER編集部
 

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