昨年から続く"レジェンド"の旅立ちに、また一人、あまりにも偉大な男が続くことになった。22日、通算755本塁打、歴代最多の2297打点を記録したメジャー史上最高の強打者、ハンク・アーロンが86歳で亡くなったことを現地メディア各紙が報じている。
1934年にアラバマ州モービルで生まれたアーロンは、ニグロリーグを経て52年にミルウォーキー・ブレーブス(現アトランタ・ブレーブス)と契約。54年にメジャーデビューを果たした。最大の持ち味は頑健な身体と安定性。メジャー2年目から20年連続で20本塁打をクリアし、故障とも無縁で長期離脱をしたことがなかった。毎年着実に本塁打を積み上げ、そして74年4月8日のドジャース戦、絶対不可侵と思われたベーブ・ルースの記録を破る通算715号本塁打を放った。
アーロンは決してパワーだけの選手ではなかった。打率3割は14度記録しており、59年には首位打者も2度獲得。60~68年には9年連続で2ケタ盗塁をクリアするなど俊足でもあった。また肩も強く、右翼手として通算179補殺は歴代8位。まさに走攻守すべてに秀でた万能選手だった。
82年に野球殿堂入りを果たした際の得票率は97.8%の高率で、背番号44は長く在籍したブレーブスと、現役晩年を過ごしたミルウォーキー・ブルワーズの2チームで永久欠番になっている。
また、日本では、“世界のホームラン王”王貞治氏との友諠でも知られている。74年秋にアーロンが日米野球で来日した際には、王と後楽園球場で本塁打競争を行った。この年、自身2度目の三冠王を獲得した34歳の王に対し、アーロンはすでに40歳と現役晩年だったが、結果は10対9でアーロンの勝利。王が77年にアーロンの記録を破る通算756本塁打を放った際には、アーロンは王の一本足打法にちなんだフラミンゴの剥製を送って祝福し、アサヒ缶コーヒーのCMで共演したこともあるなど、2人の親交は深かった。
今月6日には、新型コロナウイルスのワクチン公開摂取にも参加し、そのことを自身のツイッターでも伝えるなど、元気な姿を見せていたアーロン。突然の訃報に、球界の内外から多くの人がその死を悼んでいる。
構成●SLUGGER編集部
1934年にアラバマ州モービルで生まれたアーロンは、ニグロリーグを経て52年にミルウォーキー・ブレーブス(現アトランタ・ブレーブス)と契約。54年にメジャーデビューを果たした。最大の持ち味は頑健な身体と安定性。メジャー2年目から20年連続で20本塁打をクリアし、故障とも無縁で長期離脱をしたことがなかった。毎年着実に本塁打を積み上げ、そして74年4月8日のドジャース戦、絶対不可侵と思われたベーブ・ルースの記録を破る通算715号本塁打を放った。
アーロンは決してパワーだけの選手ではなかった。打率3割は14度記録しており、59年には首位打者も2度獲得。60~68年には9年連続で2ケタ盗塁をクリアするなど俊足でもあった。また肩も強く、右翼手として通算179補殺は歴代8位。まさに走攻守すべてに秀でた万能選手だった。
82年に野球殿堂入りを果たした際の得票率は97.8%の高率で、背番号44は長く在籍したブレーブスと、現役晩年を過ごしたミルウォーキー・ブルワーズの2チームで永久欠番になっている。
また、日本では、“世界のホームラン王”王貞治氏との友諠でも知られている。74年秋にアーロンが日米野球で来日した際には、王と後楽園球場で本塁打競争を行った。この年、自身2度目の三冠王を獲得した34歳の王に対し、アーロンはすでに40歳と現役晩年だったが、結果は10対9でアーロンの勝利。王が77年にアーロンの記録を破る通算756本塁打を放った際には、アーロンは王の一本足打法にちなんだフラミンゴの剥製を送って祝福し、アサヒ缶コーヒーのCMで共演したこともあるなど、2人の親交は深かった。
今月6日には、新型コロナウイルスのワクチン公開摂取にも参加し、そのことを自身のツイッターでも伝えるなど、元気な姿を見せていたアーロン。突然の訃報に、球界の内外から多くの人がその死を悼んでいる。
構成●SLUGGER編集部