プロ野球

「実はメジャーからやってきた」「引退後はあのスラッガーの手に」――ノムさんと苦楽を共にしたヘルメットの物語<SLUGGER>

筒居一孝(SLUGGER編集部)

2021.06.22

ノムさんのヘルメットの写真(©DUGOUT Pictures)。こちらはノムさんが自宅に保管していたものだ。

 昨年2月10日に亡くなったノムさんこと野村克也氏の自宅には、現役時代に使っていたヘルメットが保管されているという。今も西武の球団旗に描かれている白いライオンのマークが入り、懐かしのライオンズブルーに塗られたそれは、ところどころ塗装が剥げていたり、黒ずんでいたりして、まさにノムさんがボロボロになるまでプレーした現役晩年をよく表しているように思う。

 ところで、ノムさんのヘルメットとして世に知られているものはもう一つある。こちらはすでに別の人物が所有しているが、ノムさんの現役時代を象徴するような、波乱万丈のストーリーが背景にある逸品である。
 
 ノムさんがこのヘルメットを手に入れたのは、1970年シーズンが開幕する前の3月に行なわれた、MLBサンフランシスコ・ジャイアンツとの日米野球でのことだ(当時はMLB選抜ではなく単独チームが来日して日本選抜と戦う形式だった)。この時すでにパ・リーグを代表するキャッチャーであり、南海ホークス(現ソフトバンク)のプレーイング・マネジャーに就任したばかりだったノムさんは、もちろん日本側の選抜メンバーに選ばれた。この際、ノムさんはジャインツのベンチで、自分の頭にピッタリ合うサイズのヘルメットを発見。他の選手よりも頭が大きく、サイズの合わないヘルメットを無理やり着用していたノムさんは、ジャイアンツの用具係に頼み込んでそれを譲り受けたという。

 このヘルメット、果たして誰のものだったのかは判然としないのだが、メジャー史上最多の通算762本塁打を放ったバリー・ボンズの父、ボビー・ボンズのものだったという"都市伝説"もささやかれている。この説には「ボンズも同じ右打ちで、かつノムさんと同じように頭が大きかったことで知られていた」という、あまり強固とは言えない根拠が付されているのだが、これが万が一本当なら、なおさらドラマティックな由来を持っていることになる。

 ともあれジャイアンツからヘルメットを譲られたノムさんは、南海のグリーンに塗装し直して着用。その後10年にわたって愛用し続けた。手に入れた直後の70年には、東映フライヤーズ(現・日本ハム)の大杉勝男と激しい本塁打王争いを繰り広げ(2本差の42本で惜しくも2位)、72年にはその大杉と並んで5年ぶりの打点王にも輝いている。73年に強豪・阪急を「死んだふり優勝」で破ってシーズンMVPに輝き、この年V9を達成する巨人とも日本シリーズで死闘を繰り広げた時も、このヘルメットとともにあった。
 
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