現役最後の試合が日本シリーズだなんて、彼らしいと思った。確かに、オープン戦や消化試合などでは物足りない。阿部慎之助という“レジェンド”の引退試合には最高の舞台が相応しい。
今回で日本シリーズに出場するのは6度目となり、過去には日本一にも3回なっている。2008年には攻守にわたる活躍でシリーズMVPを受賞。今回は戴冠を逃したものの、阿部にとって日本シリーズはこれ以上ない花道だ。
阿部はまさに、「常勝」をスローガンとする巨人軍を引っ張ってきた存在と言っていい。リーダーシップを買われて巨人の第18代主将となったのが07年。第72代4番打者になったのも同じ年だった。巨人の歴史の中でも随一の選手だが、実はそれ以上に阿部が球史全体に残した足跡は大きい。
10年に放った44本塁打は、捕手では野村克也、田淵幸一に次ぐ3人目の40号だった。12年にはセ・リーグの首位打者と打点王に輝いた。捕手で打撃三冠タイトルを獲得するのは2リーグ制以降では4人目で、首位打者は野村、古田敦也に次いで3人目。打点王は野村に次いで2人目だった。
17年には2000本安打を達成して名球会入りを果たす。これも1970年の野村、2005年の古田、13年の谷繁元信に次ぐ4人目の記録だった。
19年の現役生活を通じて積み上げた2132安打は歴代27位。406本塁打は同18位。捕手としてこれらの数字をともに超えているのは、やはり野村(2901安打/657本塁打)しかいない。
本塁打だけなら田淵(474本塁打)がいるが、捕手としての出場は1000試合にも満たず、阿部とは倍近い開きがある。比較対象にするには無理があるだろう。古田の通算2097安打も、谷繁の2108安打も超えた。上にいるのは野村だけだ。
打撃成績だけでなく、捕手として、4番として、そして監督として南海ホークスを牽引した野村と、同じく捕手として、4番として、そして主将としてチームを引っ張った阿部。ともにいくつもの重責を担いつつも実績を残してきた。ただ、二人は似ているようで違う。
今回で日本シリーズに出場するのは6度目となり、過去には日本一にも3回なっている。2008年には攻守にわたる活躍でシリーズMVPを受賞。今回は戴冠を逃したものの、阿部にとって日本シリーズはこれ以上ない花道だ。
阿部はまさに、「常勝」をスローガンとする巨人軍を引っ張ってきた存在と言っていい。リーダーシップを買われて巨人の第18代主将となったのが07年。第72代4番打者になったのも同じ年だった。巨人の歴史の中でも随一の選手だが、実はそれ以上に阿部が球史全体に残した足跡は大きい。
10年に放った44本塁打は、捕手では野村克也、田淵幸一に次ぐ3人目の40号だった。12年にはセ・リーグの首位打者と打点王に輝いた。捕手で打撃三冠タイトルを獲得するのは2リーグ制以降では4人目で、首位打者は野村、古田敦也に次いで3人目。打点王は野村に次いで2人目だった。
17年には2000本安打を達成して名球会入りを果たす。これも1970年の野村、2005年の古田、13年の谷繁元信に次ぐ4人目の記録だった。
19年の現役生活を通じて積み上げた2132安打は歴代27位。406本塁打は同18位。捕手としてこれらの数字をともに超えているのは、やはり野村(2901安打/657本塁打)しかいない。
本塁打だけなら田淵(474本塁打)がいるが、捕手としての出場は1000試合にも満たず、阿部とは倍近い開きがある。比較対象にするには無理があるだろう。古田の通算2097安打も、谷繁の2108安打も超えた。上にいるのは野村だけだ。
打撃成績だけでなく、捕手として、4番として、そして監督として南海ホークスを牽引した野村と、同じく捕手として、4番として、そして主将としてチームを引っ張った阿部。ともにいくつもの重責を担いつつも実績を残してきた。ただ、二人は似ているようで違う。