専門5誌オリジナル情報満載のスポーツ総合サイト

  • サッカーダイジェスト
  • WORLD SOCCER DIGEST
  • スマッシュ
  • DUNK SHOT
  • Slugger
MLB

“歴史を掘り起こす”ほどに凄さが分かる。大谷翔平が記録したリーグ初の「100安打&100奪三振」が持つ価値

THE DIGEST編集部

2021.08.05

数々の歴史を作り上げている大谷。「100安打&100奪三振」の快挙が持つ意味とは?(C)Getty Images

数々の歴史を作り上げている大谷。「100安打&100奪三振」の快挙が持つ意味とは?(C)Getty Images

 大谷翔平がまた新たな記録を樹立した。現地時間8月3日のテキサス・レンジャーズ戦で2安打を放ち、年間100安打に到達。すでに投手として100三振を奪っており、100安打と100奪三振を同一年に達成したのは、1890年以来130年ぶりの出来事となった。

 アメリカン・リーグの創設は1901年だからリーグ史上初でもある。“元祖二刀流”ベーブ・ルースすら、投手として100三振以上を奪った1915~17年の3年間は、野手での出場が1試合もなく、17年の40安打が最多。二刀流で139安打を放った19年は30奪三振にとどまった。

【画像】「100安打&100奪三振」達成者一覧。時代を並べると大谷の"異常"ぶりが際立っている

 ただし、19世紀まで遡ると必ずしも珍しい記録ではなく、1879年のジョン・ウォード(104安打/239奪三振)以降の12年間で、10人が11回達成している。その頃は選手層が薄く、打力のある投手が守備につくことは珍しくなく、またローテーションは2~3人で回していたので打席に立つ機会も多かったからだ。ただし、11回中7回はアメリカン・アソシーション、ユニオン・アソシエーションという、ナショナル・リーグに比べると若干レベルが下がるリーグでの記録だった。
 
 ナ・リーグでこれを達成した4人は、みなそれぞれ個性的な選手だった。79年に第1号となったウォードは、メジャーの歴史上で最重要人物の一人である。記録達成時はまだ19歳だった、それこそ大谷並みの天才。

 プロビデンス・グレイズに所属していたこの年はリーグ最多の47勝を挙げ、翌80年にはナ・リーグ史上2人目の完全試合を達成した。同年は20歳にして32試合だけ兼任監督も務めている。最初の7年で164勝した好投手で、肩を故障して85年から遊撃手に転向すると、通算2107安打を放った。

 このような名選手であっただけでなく、選手組合のリーダーとして権利の向上に努め、90年にはプレーヤーズ・リーグという新リーグを立ち上げるなど、行動力・統率力も抜群だった。このリーグは1年で解散してしまったが、それでもメジャーとして扱われている。引退後は弁護士になり、ブレーブスの球団社長なども務めるなど実に多才だった。
 
NEXT
PAGE

RECOMMENDオススメ情報

MAGAZINE雑誌最新号