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プロ野球

まだその雄姿を見たかった。現役中に志半ばで倒れたプロ野球選手たち<SLUGGER>

SLUGGER編集部

2021.08.07

連投もいとわぬタフネスぶりで、ダイエー初のリーグ優勝に貢献した藤井。ホークスの背番号15はそれ以降誰も着けておらず、事実上の永久欠番となっている。写真:産経新聞社

連投もいとわぬタフネスぶりで、ダイエー初のリーグ優勝に貢献した藤井。ホークスの背番号15はそれ以降誰も着けておらず、事実上の永久欠番となっている。写真:産経新聞社

 まだ現役の、27歳の右腕の突然の訃報だった。中日ドラゴンズは8月6日、木下雄介投手が3日に亡くなっていたことを発表した。今季は一軍定着が期待されていたリリーフ右腕の訃報に球界全体が大きなショックを受けている。しかし、現役中の選手が命を落としてしまうケースはこれまでにも何度かあった。

 1970年代後半から80年代前半にかけて南海(現ソフトバンク)で活躍した、久保寺雄二という選手がいる。彼はまさにホークスの未来を担うはずの選手だったが、木下と同じように本当に突然命を落としてしまった。

 静岡商高から76年ドラフト2位で入団した久保寺は、2年目から一軍に定着。三塁手として台頭し、84年にはベストナインを獲得したこともある藤原満の背番号7と受け継ぐなど大きな期待を受けていた。しかし84年オフ、実家に帰省していた久保寺を悲劇が襲う。風邪で寝込んでいた時に突然苦しみだして救急搬送され、急性心不全により85年1月4日、26歳の若さで死去。葬儀に参列した高校の同期生・大石大二郎(当時近鉄)は弔辞を読むながら号泣した。
 
 来日中の助っ人外国人が命を落とした例もある。66年にサンケイ・アトムズ(現ヤクルト)へ入団したルー・ジャクソンは、来日1年目に97試合で20本塁打を放つなど、打線の中軸としてチームに貢献。67年にはオールスターにも出場した人気者だった。

 だが、グラウンドでの華々しい活躍とは裏腹に、夫人との離婚話が進んでいたこともあってか私生活は荒んでおり、試合が終わるとスナックに直行して朝まで飲み続けることもしばしば。見かねた球団が給料を管理してもツケで痛飲するなど、悪癖は治らないままだった。この不摂生で膵臓に負担がかかり、69年の開幕前に入院。膵臓壊死により、5月27日に33歳で没した。翌日に執り行われた球団葬には他球団の助っ人たちも参列し、別所毅彦監督が読んだ「楽天家のルー、おとぼけのルー……」という弔辞には嗚咽が漏れたという。
 

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