プロ野球

「自分は好きではなかった」松坂大輔が引退会見で告白した“松坂世代”への本音「みんなが嫌がらなかったおかげで」

THE DIGEST編集部

2021.10.20

現役最後のマウンドでは笑顔を浮かべた松坂。その表情はあらゆる重圧から解放されたようだった。写真:徳原隆元

 緊張感に包まれたメットライフドームのマウンドに松坂大輔(西武ライオンズ)が立った。10月19日に行なわれた日本ハム戦で、プロ生活23年に終止符を打つラスト登板を果たしたのである。
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 奇しくも相手はプロデビューを飾った時と同じ日本ハム。怪我の影響から「本当は投げたくなかった」と語った"平成の怪物"は、横浜高校の後輩にあたる近藤健介に真っ向勝負を挑んだが、結果は四球。最速118キロしかでなかったボールの球威も、23年前に片岡篤史から豪快な空振りによる三振を奪った155キロの剛速球には到底及ぶものではなかった。しかし、「もう投げられない」と知ってから、おそらく誰もが見たくてたまらなかったはずの背番号18を背負った松坂の勇姿が、たしかにそこにあった。

「もうこれ以上、駄目な姿を見せたくない」となるまでもがいてきた。そんな彼を語るうえで欠かせないキーワードが、「松坂世代」だ。1980年4月2日から1981年4月1日までに生まれた世代でプロ野球選手となった数多の名手たちを指す言葉である。

 数多の逸材が揃ういわば黄金世代。そのなかにあって、横浜高校を春夏連覇に導くなど、図抜けた実力の持ち主だった松坂は、世代の冠を与えられるにふさわしいスターだった。それは、同世代の選手の多くが、引退する際に「松坂」の名を口にしてきたことからも分かる紛れもない事実だ。
 
 しかし、当の本人は「自分は言われるのが好きではなかった」と話す。そして、『松坂世代』への本音を語った。

「いい仲間に恵まれた世代だったと思う。仲が良かったし、言葉に出さなくてもわかり合えた。僕は自分の名前がつく以上、その世代のトップでなければならないと思ってやってきた。それがあったからこそ、最後まで諦めずに、ここまでやれてきたと思います」

 松坂世代と言われるのは決して穏やかではなかった。それでも「周りの同世代、みんなが嫌がらなかったおかげで、ついてきてくれたというとおこがましいが、みんながいたからこそ、先頭を走ってくることができた」。ゆえに世代唯一の現役選手となった和田毅(現ソフトバンク)には、託したい想いがある。

「最後の1人になった(和田)毅には、僕の前にやめていった選手が僕らに託していったように、まだまだ投げたかった僕の分まで投げてほしい。できるだけ長く投げてほしい」

 プロ野球史に刻まれるであろう最強世代の牽引してきた男からバトンを受け継いだ和田。そんな左腕の熱投も、最後まで注視していきたい。

構成●THE DIGEST編集部

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