将来のNPB参入を目指して、2020年から活動をスタートさせた沖縄の独立球団・琉球ブルーオーシャンズ。その初代監督としてチームを率いてきた清水直行監督兼GMが昨年12月28日、契約期間満了で退団することが所属事務所から発表された。
ほぼゼロから始まったチームづくり。沖縄から始まる新たなチャレンジは夢と希望に満ちた航海となるはずだった。しかし、誰もが予想しなかった新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、出航して間もなく、難しい舵取りを強いられることとなった。
「当初は『選手たちの指導とコーチの育成をお願いします』ということでした。練習試合など外部との折衝は、球団を運営する会社が行なって、我々現場に降りてくるものだと思っていたのですが、交渉の窓口になるべき球団側の人間が沖縄に常駐していなかった。結果として、沖縄にいる人間でやるしかなかったので、沖縄県内での練習試合を組むのが大変でした」
1年目をそう振り返った清水監督。発足当初から、球団代表が沖縄県に常駐しない状態が続いたため、結果的に清水を含めた現場スタッフが、多くのことを独自に判断せざるえない状況が続いた。
そのため2年目からは、GMも兼任することとなった。グラウンド外の仕事が増えたが、地域の方々と直接話をする機会も増え、周囲の支えをより肌で感じることとなった。
「応援してくださったファンの皆さんはもちろんですが、新型コロナの影響も大きい中、活動に理解を示してくださった各自治体の方々や、大小関わらず、多くの県内企業の方々に球団活動を支えていただきました。沖縄で出会い、我々を支えてくださった全ての方々に、本当に感謝しています」
県民に応援される球団を作りたいーー。清水は監督就任会見でそう語っていた。思い描いていたチーム作りはどこまでできたのだろうか。
「選手育成以外の部分では、ほとんどのことができなかったと思っています。沖縄の県民の方々や子どもたちに、もっと野球を見せたかった。NPBのキャンプシーズン以外では見ることの出来ないプロのプレーに触れてもらうことで、沖縄野球の活性化に関わっていきたいという思いがありました」
NPBの2軍・3軍チームや独立リーグのチームを沖縄に招き、レベルの高い試合に触れる機会を増やすことで、沖縄の野球レベルの向上につながる。清水はそう考えていた。
しかし、この2年間で行なった沖縄県での主催試合は昨年2月のオープニングゲーム(巨人3軍戦)と、今年8月の九州アジアリーグ交流戦(大分戦)の2試合のみ。それも感染拡大の影響を考慮し、いずれも無観客試合となった。応援してもらうはずの県民の前で、選手たちが躍動する姿を見せることは、ついにできなかった。
「県内での試合がもっとたくさんあれば、子どもたちともたくさん交流ができたかもしれないし、もっと身近な球団づくりができたかもしれない。やはり人と人との触れ合いだと思うし、そういうところでチームが地域に根付いていくものだと思っています。それができなかった2年間が本当に残念で仕方ないですね」
ほぼゼロから始まったチームづくり。沖縄から始まる新たなチャレンジは夢と希望に満ちた航海となるはずだった。しかし、誰もが予想しなかった新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、出航して間もなく、難しい舵取りを強いられることとなった。
「当初は『選手たちの指導とコーチの育成をお願いします』ということでした。練習試合など外部との折衝は、球団を運営する会社が行なって、我々現場に降りてくるものだと思っていたのですが、交渉の窓口になるべき球団側の人間が沖縄に常駐していなかった。結果として、沖縄にいる人間でやるしかなかったので、沖縄県内での練習試合を組むのが大変でした」
1年目をそう振り返った清水監督。発足当初から、球団代表が沖縄県に常駐しない状態が続いたため、結果的に清水を含めた現場スタッフが、多くのことを独自に判断せざるえない状況が続いた。
そのため2年目からは、GMも兼任することとなった。グラウンド外の仕事が増えたが、地域の方々と直接話をする機会も増え、周囲の支えをより肌で感じることとなった。
「応援してくださったファンの皆さんはもちろんですが、新型コロナの影響も大きい中、活動に理解を示してくださった各自治体の方々や、大小関わらず、多くの県内企業の方々に球団活動を支えていただきました。沖縄で出会い、我々を支えてくださった全ての方々に、本当に感謝しています」
県民に応援される球団を作りたいーー。清水は監督就任会見でそう語っていた。思い描いていたチーム作りはどこまでできたのだろうか。
「選手育成以外の部分では、ほとんどのことができなかったと思っています。沖縄の県民の方々や子どもたちに、もっと野球を見せたかった。NPBのキャンプシーズン以外では見ることの出来ないプロのプレーに触れてもらうことで、沖縄野球の活性化に関わっていきたいという思いがありました」
NPBの2軍・3軍チームや独立リーグのチームを沖縄に招き、レベルの高い試合に触れる機会を増やすことで、沖縄の野球レベルの向上につながる。清水はそう考えていた。
しかし、この2年間で行なった沖縄県での主催試合は昨年2月のオープニングゲーム(巨人3軍戦)と、今年8月の九州アジアリーグ交流戦(大分戦)の2試合のみ。それも感染拡大の影響を考慮し、いずれも無観客試合となった。応援してもらうはずの県民の前で、選手たちが躍動する姿を見せることは、ついにできなかった。
「県内での試合がもっとたくさんあれば、子どもたちともたくさん交流ができたかもしれないし、もっと身近な球団づくりができたかもしれない。やはり人と人との触れ合いだと思うし、そういうところでチームが地域に根付いていくものだと思っています。それができなかった2年間が本当に残念で仕方ないですね」