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プロ野球

記録か、選手生命か――。佐々木朗希の8回完全降板で思い出した“幻の名投手”伊藤智仁の悲劇<SLUGGER>

筒居一孝(SLUGGER編集部)

2022.04.23

井口監督が佐々木(写真)を降板させたのは英断だったと言いたい。史上有数の才能を持ちながら、酷使によってそれを発揮できなかった伊藤のような存在もいたのだから。写真:産経新聞社

井口監督が佐々木(写真)を降板させたのは英断だったと言いたい。史上有数の才能を持ちながら、酷使によってそれを発揮できなかった伊藤のような存在もいたのだから。写真:産経新聞社

 記録か、それとも選手生命か。

 4月17日に行なわれた日本ハム戦、史上初の2試合連続完全試合を目前にした佐々木朗希(ロッテ)は8回を投げ切って降板した。試合後に井口資仁監督は「もし(味方が)点を取っていても8回で代わってました。7回が終わった時点で朗希がへばりつつあったので」と、マウンドから下ろした理由を説明。「郎希が1年間ローテーションでしっかり回ることが大事」と強調した。あくまで記録ではなく佐々木の健康を優先したのである。

 井口監督の決断には賛否両論が起きた。筆者は降板賛成派だが、“否”の意見も理解できる。たしかに2試合連続完全試合を目の当たりにするチャンスなど、おそらく今後100年間でも一度あるかないかだ。

 だが、選手生命よりも記録を優先した結果、決定的に壊れてしまった投手を1人知っている。伊藤智仁(ヤクルト)だ。
 
 1992年バルセロナ五輪の日本代表として活躍した伊藤は、同年のドラフト1位でヤクルトに入団。当時の球団首脳陣は松井秀喜と迷った末に伊藤を選び、23歳の右腕も1年目からその期待に応えた。開幕当初こそ二軍にいたが、4月中に一軍へ昇格すると、150キロを超えるストレートと「消える魔球」とも称された高速スライダーを武器に好投を続けたのだ。

 そして、石川県立野球場で行なわれた6月9日の巨人戦で、伊藤は歴史的なピッチングを見せる。5回までの15アウトのうち、12個が奪三振。8回までに15三振を奪い、セ・リーグ最多記録にリーチをかけた。プロ野球史上最多17奪三振(当時)の更新も可能とあって、野村克也監督はためらいなく伊藤を9回裏のマウンドへ送り出した。この時点でスコアは0対0だった。

 伊藤は1死から8番の吉原孝介から三振を奪い、1試合16奪三振のセ・リーグタイ記録を樹立。だが、直後に運命は暗転する。途中から9番に入っていた篠塚和典への初球が高めに抜けた。2度の首位打者に輝いた篠塚はこの失投を見逃さず、打球は巨人ファンがひしめくライトスタンドに飛び込むサヨナラ本塁打となったのだ。

 この時、グラブを叩きつけて悔しさを露わにした伊藤は、その1か月後に故障を余儀なくされた。7月4日の同カードに先発した後に右ヒジの不調を訴え、この年はそれ以降、一度も登板できなかった。
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