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プロ野球

記録か、選手生命か――。佐々木朗希の8回完全降板で思い出した“幻の名投手”伊藤智仁の悲劇<SLUGGER>

筒居一孝(SLUGGER編集部)

2022.04.23

 ただし、たった3か月で残した数字は圧巻の一語だった。14登板で109.0イニングを投げ、7勝2敗。123三振を奪い、防御率は0.93で、新人王にも輝いた。だが伊藤は結局、この年の快投を二度と再現できなかった。翌年の春季キャンプで右肩を痛めるなど、キャリアを通じて右腕の故障に悩まされ、11年のプロ生活で通算27勝に終わっている。

 当時はまだ「先発投手は完投」という風潮が残っていた時代で、93年の伊藤は12先発のうち11試合で100球以上投げていた。「あの試合」だけで伊藤が壊れたとは必ずしも言えないが、記録達成のための続投で選手生命が、少なからずむしばまれたと言える。

 野村は、伊藤の酷使をのちのちまで悔やんでいたという。2018年に出演したテレビ番組で本人と再会した際には、「俺以外の監督の下なら、もっと凄い記録を絶対に残していたと思う。俺が邪魔したみたいだ。申し訳ない」と謝罪していた。
 
 これに対して伊藤は「(怪我は)自分の責任だと思ってますし。そういう風に思ってほしくない」ときっぱり言い切った。「先発したら、その試合は最後まで投げるのが使命だと思っていた」とエースの責任感を口にしたように、本人にも投げたい気持ちが強くあったのだろうし、今となっては野村の決断の成否をとやかく言っても意味がない。

 ただ、佐々木のように首脳陣が配慮していたら、伊藤にはまた違う野球人生があったかもしれない。

 93年前半戦の快投を根拠に、「史上最高の投手」の議論に伊藤の名を挙げる人は今も存在するが、そこには「故障さえなければ」という但し書きがつく。「史上最高の投手になれなかった」という意味では、その他大勢の選手と変わらない。

 その一方で、佐々木はいまだ史上最高の投手になるだけの可能性を秘めている。あれだけの快投を見せてくれた彼に、できればそうなってほしいと思っているのは私だけではないはずだ。ならば、降板と続投のどちらが正解だったのかは言うまでもないだろう。
 
文●筒居一孝(SLUGGER編集部)

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