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プロ野球

阪神の「10年36億」を蹴った清原和博、「ミスターの背番号」も条件になった江藤智――大物FA選手争奪戦を振り返る<SLUGGER>

筒居一孝(SLUGGER編集部)

2022.11.05

巨人・長嶋監督(左)と握手を交わす清原(右)。阪神の出していた巨額オファーは実らなかった。写真:産経新聞社

巨人・長嶋監督(左)と握手を交わす清原(右)。阪神の出していた巨額オファーは実らなかった。写真:産経新聞社

 日本シリーズも終結し、いよいよストーブリーグが本格化する時期になった。とくフリーエージェント(FA)移籍は、オフの目玉の一つだ。今回は、これまでに特に激しい争奪戦が展開された大物選手たちのそれを振り返ってみよう。

▼清原和博(1996年オフ)
○巨人:2年5億円 (最終的には5年18億円)
●阪神:10年36億円&監督手形

「(ユニホームの)縦じまを横じまにしてでも君が欲しい」。当時阪神の監督だった吉田義男は、西武からFA宣言した清原をこう言って口説いた。当時暗黒時代の真っ只中だった阪神が、常勝軍団の4番を務めた清原獲得にかける執念はそれほど強かった。後年、清原が明かした条件は、総額36億円の10年契約。最高年俸が3億8000万円(巨人の落合博満)だった時代を思えば異例とも言える額である。しかも将来の監督&球団社長手形など、引退後の生活をも保証するものも含まれていた。誠意も金額も、これ以上は望めなかっただろう。

 対して、幼少期から清原が憧れ続けた巨人の条件は、阪神とは比ぶべくもなかった。当初提示されたのは2年契約で、年俸も阪神より安い。最終的には5年18億円までアップしたが、それでもなお阪神の方が上だったのは一目瞭然だ。

 しかし、最終的に清原が巨人を選んだのは、当時の長嶋茂雄監督から「何も考えず僕の胸に飛び込んで来い」と言われたことと、母から「あんたの夢は何やったんや」と諭されたからだという。当時は阪神のオファーが明らかになっていなかったため、「結局はカネか」とファンから批判もされたが、実は清原はカネよりも夢を選んでいたのだ。
 
▼江藤智(1999年オフ)
○巨人:4年12億円+背番号33
●阪神:5年15億円
●横浜:4年10億円
●中日:条件不明

 本塁打王2回を誇る90年代屈指のホームラン・アーチストのFA宣言に、それまで散々苦しめられてきたセ・リーグ4球団が群がった。総額10億円規模で4球団が争奪戦を展開するのは、現代でもそうそうないこと。昨今は「緊縮財政」のイメージが強い中日も、当時は巨人と並んで目玉選手を獲りに行く傾向にあった。

 その中日は条件こそ不明ながら、江藤獲りにかなり熱心だったと言われる。この年にリーグ優勝を果たしたものの、本塁打数は5位と打線は迫力不足だったからだ。また、それ以上に必死だったのが、同じく深刻なパワー欠乏症に悩まされていた阪神。獲得に欠ける熱意は条件面にも表れている。

 だが、東京出身の江藤は「在京球団」を希望したため、中日と阪神の望みは早々に絶たれてしまう。条件に合う残り2球団では、巨人の方がただでさえ条件は良かったが、ダメ押しとばかりに長嶋茂雄監督が、自身の背番号33を江藤に譲ると宣言。かくして江藤は巨人入りを決断した。なお、ミスターはその代わり、自身が現役時代につけていた永久欠番の背番号3を再び着用して話題となった。
 
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