多くの若手が活躍している今年のプロ野球だが、セ・リーグの野手でここへ来て一気に存在感を増しているのが秋広優人(巨人)だ。開幕一軍入りこそ逃したものの、4月下旬からは外野の一角に定着。6月3日終了時点でチーム4位となる37安打を放ち、打率.333と見事な成績を残しているのだ。ちなみに4本塁打、16打点は両リーグの新人王有資格者の中でもトップの数字である(16打点はオリックス・茶野篤政と並んでトップタイ)。
そんな秋広だが、2020年のドラフト5位で二松学舎大付高からプロ入りしているように、高校時代はそこまで評価が高かったわけではない。それにはいくつかの理由があるが、大きかったのは本格化したのが遅かったということと、実戦でアピールする機会が圧倒的に少なかったという2点ではないだろうか。
1年秋にはレギュラーとなった秋広だが、下級生の頃は目立った結果は残しておらず、2年秋の東京都大会でもチームは1回戦で敗れている。そして最終学年はコロナ禍によって活動が制限され、スカウト陣にアピールできたのは夏の東京都代替大会だけだったのだ。
下級生の頃は身長2mという長身ということは知られていたものの、そこまで注目されていたわけではなく、ドラフト候補として本格的に報道されるようになったのは夏の代替大会の開催が決まってからである。仮に例年通り、春から練習試合や公式戦が行われていればそこで成長の機会をアピールできたはずで、もう少し評価は違っていたものになった可能性はあっただろう。
ただ、当時の秋広のプレーを見ても、正直言って上位候補とまでは感じられなかったのは事実である。
実際にプレーを見たのは20年7月29日に行われた代替大会、東京成徳大高との一戦だった。この試合で秋広は背番号3をつけて4番・ピッチャーとして出場。投げては最速142キロのストレートを武器に4回を無失点、4奪三振の好投を見せ、打者としても2本のツーベースを放ち、チームの勝利に大きく貢献した。超大型の割に体の使い方は上手く、打者としてだけでなく投手としての才能も感じられたのをよく覚えていている。ただ、当時は体つきがまだまだ細く、全体的なプレーの力強さは物足りなかった。
この年の高校生野手は井上朋也(花咲徳栄→ソフトバンク1位)、元謙太(中京学院大中京→オリックス2位)、来田涼斗(明石商→オリックス3位)、小深田大地(履正社→DeNA4位)などが下級生の頃から高い評価を受け、秋広よりも高い順位でプロ入りしているが、彼らに比べると打者としての完成度が低かったことは間違いない。投手を兼任していたことも、野手としての開花に時間がかかったという事情もあっただろう。また、過去にここまで超大型の野手で大成した事例がなかったということも、プロ側の評価を下げた要因だったのではないだろうか。
そんな秋広だが、2020年のドラフト5位で二松学舎大付高からプロ入りしているように、高校時代はそこまで評価が高かったわけではない。それにはいくつかの理由があるが、大きかったのは本格化したのが遅かったということと、実戦でアピールする機会が圧倒的に少なかったという2点ではないだろうか。
1年秋にはレギュラーとなった秋広だが、下級生の頃は目立った結果は残しておらず、2年秋の東京都大会でもチームは1回戦で敗れている。そして最終学年はコロナ禍によって活動が制限され、スカウト陣にアピールできたのは夏の東京都代替大会だけだったのだ。
下級生の頃は身長2mという長身ということは知られていたものの、そこまで注目されていたわけではなく、ドラフト候補として本格的に報道されるようになったのは夏の代替大会の開催が決まってからである。仮に例年通り、春から練習試合や公式戦が行われていればそこで成長の機会をアピールできたはずで、もう少し評価は違っていたものになった可能性はあっただろう。
ただ、当時の秋広のプレーを見ても、正直言って上位候補とまでは感じられなかったのは事実である。
実際にプレーを見たのは20年7月29日に行われた代替大会、東京成徳大高との一戦だった。この試合で秋広は背番号3をつけて4番・ピッチャーとして出場。投げては最速142キロのストレートを武器に4回を無失点、4奪三振の好投を見せ、打者としても2本のツーベースを放ち、チームの勝利に大きく貢献した。超大型の割に体の使い方は上手く、打者としてだけでなく投手としての才能も感じられたのをよく覚えていている。ただ、当時は体つきがまだまだ細く、全体的なプレーの力強さは物足りなかった。
この年の高校生野手は井上朋也(花咲徳栄→ソフトバンク1位)、元謙太(中京学院大中京→オリックス2位)、来田涼斗(明石商→オリックス3位)、小深田大地(履正社→DeNA4位)などが下級生の頃から高い評価を受け、秋広よりも高い順位でプロ入りしているが、彼らに比べると打者としての完成度が低かったことは間違いない。投手を兼任していたことも、野手としての開花に時間がかかったという事情もあっただろう。また、過去にここまで超大型の野手で大成した事例がなかったということも、プロ側の評価を下げた要因だったのではないだろうか。
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