現地6月4日、現役時代は投手として活躍し、コーチや監督も歴任したロジャー・クレイグが死去した。93歳だった。
選手としては1955年から12年間プレーし、通算74勝98敗。世界一リングを3度手にした一方で、62~63年には設立されたばかりのメッツで2年連続最多敗戦を喫するなど、ジェットコースターのようなキャリアだった。
また、監督としては78~79年にパドレス、85~92年にジャイアンツの指揮を執った。ジャイアンツでは89年にリーグ優勝も達成。通算1152試合と586勝はいずれも、後にダスティ・ベイカー(現アストロズ監督)に破られるまで球団記録だった。
だが、クレイグの最も偉大な業績は投手コーチとしてのものだろう。クレイグは80年代に一世を風靡したスプリット・フィンガード・ファストボール(SFF)、いわゆるスプリッターの伝道師だったのだ。69年にパドレスのコーチに就任して以来、クレイグは現役時代に自ら駆使していたスプリッターを数々の投手に広めた。中でも有名な「生徒」がマイク・スコットとジャック・モリスだ。
84年オフ、それまでは平凡な投手だったスコットは、当時タイガースでコーチをしていたクレイグからスプリッターを教わった。すると翌年いきなり18勝、86年には投手三冠を達成、サイ・ヤング賞を受賞するまでになった。同じようにタイガースでクレイグにスプリッターを教わったモリスは、80年代最多の162勝を挙げるなど球界有数のエースにのし上がった。
クレイグのスプリッターは数多くの投手を大成させたのみならず、チームの投手力そのものを向上させる結果となった。特に84年のタイガースは、いずれもクレイグにスプリッターを教わったモリス、ダン・ペトリー、ミルト・ウィルコックスの三本柱を中心にリーグ1位のチーム防御率3.49を記録して世界一もつかみ取っている。このような名伯楽ぶりと、常に明るく選手たちを励ます姿勢から、クレイグは教え子たちから熱烈に慕われた。
「ロジャーは選手からもコーチからも、フロントオフィスのスタッフからも、ファンからも愛されていた。多くの人たちにとって父親のような存在であり、その楽観主義と知恵により、思い出に残るシーズンを演出してくれた」
今回の訃報を受け、ジャイアンツのCEOのラリー・ベアはこのような追悼メッセージを寄せた。他の球団でクレイグの人柄に触れた多くの人間も同じ思いだろう。"スプリッターの父"クレイグの業績は、彼が亡くなった後も残り続けるに違いない。
文●筒居一孝(SLUGGER編集部)
選手としては1955年から12年間プレーし、通算74勝98敗。世界一リングを3度手にした一方で、62~63年には設立されたばかりのメッツで2年連続最多敗戦を喫するなど、ジェットコースターのようなキャリアだった。
また、監督としては78~79年にパドレス、85~92年にジャイアンツの指揮を執った。ジャイアンツでは89年にリーグ優勝も達成。通算1152試合と586勝はいずれも、後にダスティ・ベイカー(現アストロズ監督)に破られるまで球団記録だった。
だが、クレイグの最も偉大な業績は投手コーチとしてのものだろう。クレイグは80年代に一世を風靡したスプリット・フィンガード・ファストボール(SFF)、いわゆるスプリッターの伝道師だったのだ。69年にパドレスのコーチに就任して以来、クレイグは現役時代に自ら駆使していたスプリッターを数々の投手に広めた。中でも有名な「生徒」がマイク・スコットとジャック・モリスだ。
84年オフ、それまでは平凡な投手だったスコットは、当時タイガースでコーチをしていたクレイグからスプリッターを教わった。すると翌年いきなり18勝、86年には投手三冠を達成、サイ・ヤング賞を受賞するまでになった。同じようにタイガースでクレイグにスプリッターを教わったモリスは、80年代最多の162勝を挙げるなど球界有数のエースにのし上がった。
クレイグのスプリッターは数多くの投手を大成させたのみならず、チームの投手力そのものを向上させる結果となった。特に84年のタイガースは、いずれもクレイグにスプリッターを教わったモリス、ダン・ペトリー、ミルト・ウィルコックスの三本柱を中心にリーグ1位のチーム防御率3.49を記録して世界一もつかみ取っている。このような名伯楽ぶりと、常に明るく選手たちを励ます姿勢から、クレイグは教え子たちから熱烈に慕われた。
「ロジャーは選手からもコーチからも、フロントオフィスのスタッフからも、ファンからも愛されていた。多くの人たちにとって父親のような存在であり、その楽観主義と知恵により、思い出に残るシーズンを演出してくれた」
今回の訃報を受け、ジャイアンツのCEOのラリー・ベアはこのような追悼メッセージを寄せた。他の球団でクレイグの人柄に触れた多くの人間も同じ思いだろう。"スプリッターの父"クレイグの業績は、彼が亡くなった後も残り続けるに違いない。
文●筒居一孝(SLUGGER編集部)
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