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チェロキー族の血を引く“飲んだくれスラッガー”大谷の月間16本塁打で脚光を浴びる1930年代の強打者ボブ・ジョンソン<SLUGGER>

出野哲也

2023.07.03

ジョンソンはメジャー1年目の33ねんから9年連続20本塁打以上を記録。通算288ホーマーを放った(C)Getty Images

ジョンソンはメジャー1年目の33ねんから9年連続20本塁打以上を記録。通算288ホーマーを放った(C)Getty Images

 6月の大谷翔平(エンジェルス)は本当に凄かった。OPS(出塁率+長打率)は1.444。昨年のア・リーグ平均(.698)2倍以上も上回っているのだから、驚異的と言うしかない。本塁打は15本。ベーブ・ルース(1930年)、ボブ・ジョンソン(34年)、ロジャー・マリス(61年)に次いで、6月に15本を打ったリーグ史上4人目の打者となった。

 ルースは言うまでもなく、彼の年間本塁打記録を破ったマリスの名前もよく知られているだろう。だが、もう一人のジョンソンとはどのような打者だったのか。いかにもありふれた名前だが、現役時代は特徴的なニックネームで有名だった。“インディアン・ボブ”――チェロキー族のネイティブ・アメリカンだったのが由来である。と言っても母親がチェロキーのハーフだっただけで、ジョンソン自身は「チェロキーの血は32分の1しか入っていない」と主張していた。

 1947年にジャッキー・ロビンソンがデビューして、近代メジャーリーグで初めて人種の壁が破られた。それまではアメリカ人の黒人はもちろん、中南米出身者でも肌が白いスペイン系はOKでも、アフリカの血を引く者は拒まれていた。けれども、ネイティブ・アメリカンは非白人でありながら、普通にメジャーリーグに受け入れられていた。それこそ優秀な黒人選手を、ネイティブ・アメリカンと偽り入団させようと試みた監督もいた。
 だからと言って、差別がなかったわけではない。ネイティブ・アメリカンの選手はたいてい“チーフ”と呼ばれた。いわゆる「酋長」で、侮蔑的なニュアンスを含んだ言葉である。殿堂入りの名投手チーフ・ベンダーを、アスレティックスのコニー・マック監督は敬意を持ってアルバートと本名で呼んでいたが、マスメディアはまったく無頓着だった。

 ずっと消防士をしながらセミプロでプレーしていたジョンソンは、24歳でプロに転向する。「兄貴のロイがメジャーリーガーになった(29年にタイガース入り)からさ。俺の方がずっと野球は上手かったから、通用するはずだと思ったんだ」。アスレティックスが主砲アル・シモンズを33年にホワイトソックスへトレードすると、彼に代わる左翼手としてジョンソンがマイナーから引き上げられた。

 メジャー1年目の33年からいきなり21本塁打、93打点と好結果を残し、翌34年の6月には前述の通り15本塁打を量産、年間でも自己最多の34本。35年からは7年連続100打点以上、39年は打率.338と114打点の2部門で3位に入るなど、リーグきっての強打者となった。
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