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息子は大谷のメジャー初完封、父は野茂のノーヒッターをサポート。不思議に日本と縁が深いウォラック親子<SLUGGER>

出野哲也

2023.07.30

インサイドワークに定評があるチャド(左)。父ティムはオールスター選出5度の名選手だった(右)。(C)Getty Images

 またしても大谷翔平の歴史的偉業だ。7月27日、タイガース相手のダブルヘッダー第1試合で、投手としてメジャー移籍後の初完投を1安打完封で飾ると、第2試合では2打席連続本塁打。「ダブルヘッダー1試合目で完封、2試合目で本塁打」は史上初の出来事だった。

 その偉業を手助けしたのが、大谷の登板時に必ずバッテリーを組んでいるチャド・ウォラック。いつもは大谷の方からサインを出しているのが、この試合では途中から配球を任せていたあたりにも、信頼の厚さが窺える。

 エンジェルス在籍2年目の31歳。昨年までは6年間で90試合に出場しただけで、大谷の"女房役"として、いま
野球人生で一番の注目を浴びている。

 ところで"ウォラック"という名前は以前も聞いたことがある、という人もいるのではないか。父のティムが、1995年に野茂英雄がドジャースでデビューした際の正三塁手だったからだ。翌96年9月17日、野茂がデンバーのクアーズ・フィールドで球場史上唯一のノーヒットノーランを達成した際も、ティムは三塁を守りダメ押し2ランを打った。これは彼にとって現役最後の一発でもあった。現役中には7度もノーヒットゲームを経験したが「ボールは飛ぶし、グラウンドは広くて球足も速い」球場で成し遂げられたこの試合が、一番印象深かったと語っている。
 ティムが最初にドラフト指名された(78年8巡目)のもエンジェルスで、このときは入団拒否。翌79年にカリフォルニア州立大フラートン校を全米制覇に導き、大学最優秀選手のゴールデン・スパイク賞を受賞して、1巡目10位の高評価でモントリオール・エクスポズ(現ワシントン・ナショナルズ)に入団した。翌80年は3Aのデンバー・ベアーズに所属。16年後に野茂のノーヒッターに立ち会う場所で、いずれもリーグ2位の36本塁打、124打点と大活躍した。彼を上回る37本、143打点で二冠王になったのは、チームメイトのランディ・バス。のちに阪神で三冠王になるバースである。

 この年のベアーズは、一塁がデビッド・ホステトラー(南海)、外野はアート・ガードナー(広島)、ダン・ブリッグス(ヤクルト)と主力選手が将来の助っ人だらけ。エース格で、シーズン中にメジャーへ昇格したビル・ガリクソン(巨人)もそうだっ
た。

 翌81年にウォーラックはエクスポズのレギュラーとなる。ただし本来のポジションである三塁にはラリー・パリッシュ(のちヤクルト、阪神)が、一塁にはウォーレン・クロマティ(のち巨人)がいたのでライトを守った。82年にパリッシュがトレードされたので三塁に据えられ、28本塁打、97打点の好成績。87年にはリーグ2位の123打点を稼いだ。

 メジャー17年間で通算2085安打、260本塁打、1125打点、試合数・安打・打点など多くの部門で、モントリオール時代の球団記録保持者である。三塁守備でも3度ゴールドグラブに選ばれ、オールスターに5回出場した。96年にはエンジェルスに在籍。ティムとチャドは、親子でエンジェルスのユニフォームを着た5組目の例である。
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イチローの3000安打達成もコーチとして見届けたティム