5月24日、浅村栄斗(楽天)が史上56人目の通算2000本安打を達成。これは平成生まれの選手としては初の快挙だったが、これまでの到達者にはどんな“初”があったのだろうか? 2000安打にまつわる「史上初トリビア」を紹介しよう。
●史上初の達成者・川上は他にも“初”が
プロ野球史上初めて2000安打を達成したのは、“打撃の神様”の異名をとった川上哲治(当時巨人)。1956年5月31日、中日戦でのことである。達成までに要した1646試合は現在も史上最速記録であり、「高卒初」「セ・リーグ初」「左打者初」でもある。なお、川上は大正9年生まれのため、「昭和以降の生まれ」が入会資格である名球会には入っていない。
●昭和生まれ初の達成者は誰?
前述した通り、川上は大正年間に誕生しているので、昭和生まれ初の達成者は“内角打ちの名人”と謳われた打撃職人・山内一弘(当時阪神)ということになる。彼は川上の11年後、67年10月14日のサンケイ(現ヤクルト)戦で、史上2番目の2000安打到達者となった。なお、山内には「社会人出身選手初」「右打者初」という看板もつく。
●大卒選手で初の達成者はミスターだった!
高卒第1号は川上、社会人出身初が山内なら、大卒で初めての達成者は誰かというと、“ミスタープロ野球”こと長嶋茂雄(巨人)である。史上最多10回のリーグ最多安打(当時は連盟表彰タイトルではなかったが)を記録しているだけあって、プロ14年目、71年5月25日のヤクルト戦で2000本安打に到達。1708試合での達成は史上3番目のスピード記録である。
●“大卒社会人出身”はかなりのハンデだが……
2000安打達成者には圧倒的に高卒が多く、浅村も含めて全56人のうち30人を占める。プロ入りが早ければ早いほど、それだけ達成しやすくなるのだから当然といえば当然だ。一方、大卒社会人ともなると実に6年(大学4年+社会人で最低2年)のハンデがあり、達成者は4人だけ。その第1号が古田敦也(当時ヤクルト)だ。プロ入り2年目の91年に首位打者を獲得した古田はその後も捕手という重責を担いながら安打を積み上げ、2005年の4月24日の広島戦、39歳8ヵ月でようやく2000本安打を達成した。
●史上初の達成者・川上は他にも“初”が
プロ野球史上初めて2000安打を達成したのは、“打撃の神様”の異名をとった川上哲治(当時巨人)。1956年5月31日、中日戦でのことである。達成までに要した1646試合は現在も史上最速記録であり、「高卒初」「セ・リーグ初」「左打者初」でもある。なお、川上は大正9年生まれのため、「昭和以降の生まれ」が入会資格である名球会には入っていない。
●昭和生まれ初の達成者は誰?
前述した通り、川上は大正年間に誕生しているので、昭和生まれ初の達成者は“内角打ちの名人”と謳われた打撃職人・山内一弘(当時阪神)ということになる。彼は川上の11年後、67年10月14日のサンケイ(現ヤクルト)戦で、史上2番目の2000安打到達者となった。なお、山内には「社会人出身選手初」「右打者初」という看板もつく。
●大卒選手で初の達成者はミスターだった!
高卒第1号は川上、社会人出身初が山内なら、大卒で初めての達成者は誰かというと、“ミスタープロ野球”こと長嶋茂雄(巨人)である。史上最多10回のリーグ最多安打(当時は連盟表彰タイトルではなかったが)を記録しているだけあって、プロ14年目、71年5月25日のヤクルト戦で2000本安打に到達。1708試合での達成は史上3番目のスピード記録である。
●“大卒社会人出身”はかなりのハンデだが……
2000安打達成者には圧倒的に高卒が多く、浅村も含めて全56人のうち30人を占める。プロ入りが早ければ早いほど、それだけ達成しやすくなるのだから当然といえば当然だ。一方、大卒社会人ともなると実に6年(大学4年+社会人で最低2年)のハンデがあり、達成者は4人だけ。その第1号が古田敦也(当時ヤクルト)だ。プロ入り2年目の91年に首位打者を獲得した古田はその後も捕手という重責を担いながら安打を積み上げ、2005年の4月24日の広島戦、39歳8ヵ月でようやく2000本安打を達成した。