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“バスケの神様”ジョーダンがプロ野球選手になった日――キャリア絶頂期にメジャーリーグを目指した理由とは?

THE DIGEST編集部

2020.02.08

1994年2月7日(日本時間8日)、“バスケの神様”マイケル・ジョーダンがシカゴ・ホワイトソックスとマイナーリーグ契約を結んだ。(C)Getty Images

1994年2月7日(日本時間8日)、“バスケの神様”マイケル・ジョーダンがシカゴ・ホワイトソックスとマイナーリーグ契約を結んだ。(C)Getty Images

 2月7日(日本時間8日)は、野球界にとっても、バスケ界にとっても記憶の残る日になっている。遡ること26年前の1994年2月7日、“バスケの神様”マイケル・ジョーダンが野球界への“転身”を発表。31歳にして、メジャーリーグのシカゴ・ホワイトソックスとマイナーリーグ契約を結んだ。

 電撃会見の約4か月前、ジョーダンを擁するシカゴ・ブルズはNBAリーグ3連覇“スリーピート”を達成。ジョーダンにとっては絶頂期にあっての突然の引退だった。地球上で最も偉大なバスケットボール選手が、なぜ突然に野球界へ転身を決めたのだろうか。

 諸説あるが、最大の理由としては父親の死が影響したと言われている。3連覇達成後シーズンオフの93年7月23日、ジョーダンの父親に悲劇が起きた。友人の葬儀からの帰路の途中に仮眠を取るため、ノースカロライナ州のハイウェイの路側帯に停車していたところ、二人の強盗により射殺されたという。このニュースはジョーダンにとってあまりにも衝撃的なものだった。
 
 享年57歳。早すぎる死を迎えた父親は大の野球好きで、息子が野球選手になることを願っていたという。「最初の優勝の後に父親と約束した夢」。ジョーダンは父と交わした約束を有言実行する形で(その姿は見せられなかったけれども)、野球選手へと“転身”したというわけだ。

 世界中が驚きを隠せぬ中、ジョーダンはホワイトソックス傘下の2Aバーミングハム・バロンズ(当時)に入団。18歳以来でのベースボールとあって、さすがのジョーダンでも苦戦を強いられていた。年間の成績では外野で127試合に出場して打率.202、3本塁打、11失策。“神様”とは思えない数字が並んでいたものの、それでも30盗塁を記録するなど身体能力の高さを改めて見せつけた。

 そして、ジョーダン人気は凄まじく、バロンズの試合はホームゲームでも遠征先でも大勢のファンが駆け付けて「野球をしている」ジョーダンに声援を送っていた。後年、ジョーダンはこう語っていた。「もちろんメジャーに上がりたかったけど、大事なのはそれじゃない。天国にいる父さんに、僕が野球をプレーしている姿を届けたかったんだ」。

 ジョーダンは1年で野球を“引退”し、95年3月にブルズへ復帰。本格始動した翌年には4度目のリーグ優勝、3年ぶり4度目のファイナルMVPを受賞した。その後も、シカゴ・ブルズで活躍し、キャリア2度目のスリーピート。再びNBAの頂点に立ち、“バスケの神様”は再び神様として君臨したのだった。

構成●THE DIGEST編集部
 
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