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MLB

35歳で夭折した"黒いルース"――ジョシュ・ギブソンの悲劇【ダークサイドMLB】

出野哲也

2020.04.15

 30年7月、ギブソンがニグロリーグの試合を観戦中、地元のホームステッド・グレイズの捕手が負傷。監督のジュディ・ジョンソン(オーナーのキャム・ポージーだったとの説もある)が観客席に呼びかける声が聞こえた。「ここにジョシュ・ギブソンは来ていないか?」。のちに野球殿堂入りした名選手ジョンソンの耳にも、地元の逸材の噂は届いていたのだ。自ら名乗りを上げ、用具を借りて出場したギブソンは翌日グレイズと契約した。これまたどこまで本当の話か分からないけれども、ともあれギブソンはプロ野球人生のスタートを切ったのだった。

 ギブソンの並外れたパワーを生み出していたのは、身長185㎝、体重99㎏の恵まれた体格だった。ルースとほぼ同じサイズで、当時としては相当大柄。ややクラウチング気味の構えで、足を大きく踏み出さずコンパクトなスウィングだった。ニグロリーグの名選手クール・パパ・ベルは「大振りせず、ただボールにバットを当てるだけで、ラインドライブがどこまでも飛んで行った」と言っている。捕手としての技能は評価が分かれ、フライの捕球に難があったようだが、強肩だったという点では意見が一致している。
 
 32年にはセミプロ時代の古巣であるピッツバーグ・クロフォーズに移籍し、黒人球界最大のスターだったサッチェル・ペイジとバッテリーを組む。メキシコやキューバ、プエルトリコの球団でもプレーし、41年はメキシコで33本塁打。2位と3位の打者の本数を合わせたよりも多い数字だった。のちにメキシカン・リーグを創設したホーヘイ・パスケルのチームにいた時には、4打数4安打で試合を終えたのに「どこか調子でも悪いのか? 1本もホームランが出なかったじゃないか」とパスケルに尋ねられたという。
 
 ギブソンとルースを比較した時、一番の相違点は性格だったろう。大口叩きで派手好きなルースとは正反対で、ギブソンは謙虚だった。ニグロリーグで活躍したのちジャイアンツに入団したモンテ・アービンは「有名人になって注目を浴びるようになっても、うぬぼれるような人ではなかった」と言う。だが30歳を超える頃からアルコールへの依存が深まり、生来の快活さは影を潜めていった。移動中のバスや、ときには試合中でも酒を飲むようになり、神経症の兆候も見え始め、施設への入所を繰り返した。

 その頃、交際していた女性が麻薬常習者だったため、ドラッグの影響を疑う者も多かったが、黒人野球研究家のジェームズ・A・ライリーによれば「ギブソンが麻薬に溺れていたという確かな証拠はない」とのことで、おそらく真の原因は43年に判明した脳腫瘍だったと思われる。当然、手術を勧められたが、ギブソンは障害が残るのを恐れて拒み、身内以外にはその事実を隠してプレーを続けた。結果的に最後の年となった46年には屈んで捕球することも難しくなっていたが、それでも打率.397、17本塁打の好成績をマークしている。
 

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