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MLB

35歳で夭折した"黒いルース"――ジョシュ・ギブソンの悲劇【ダークサイドMLB】

出野哲也

2020.04.15

 こうした白人チームとの試合で、ギブソンは56打数21安打、2本塁打だったとのこと。何度もギブソンと対戦した殿堂入り投手ディジー・ディーンは「史上最高の捕手の一人」と保証し、通算417勝の大投手ウォルター・ジョンソンも「黒人でさえなければ20万ドル(当時のトップスターの2倍)を出す球団もあっただろう」と残念がった。

 ギブソンに興味を示したMLB球団もあった。43年にはワシントン・セネタースが、ギブソンとバック・レナード(黒いルー・ゲーリッグと呼ばれた強打者)との契約を検討。地元のパイレーツや、ビル・ベックが球団買収に動いていたフィリーズも、実現すれば黒人選手を入団させる計画があったが、保守的なコミッショナーのケネソー・マウンテン・ランディスに阻止され実現しなかった。ロビンソンがドジャースと契約できたのもランディスの死後である。

 ところで、なぜドジャースGMのブランチ・リッキーはペイジやギブソンではなく、ロビンソンを選んだのだろう? もちろん年齢(契約時にロビンソンは26歳、ペイジは39歳、ギブソンは34歳)も理由ではあったが、それとは別にリッキーなりの計算が働いていた。白人層の反感を和らげる意味でも、最初の黒人選手は形式的に「マイナーリーグで鍛える」必要があった。だがペイジやギブソンは、マイナーリーグからスタートさせるにはビッグネーム過ぎた。またロビンソンは、強烈な野次や執拗な嫌がらせに耐え得る精神力を備えているとリッキーは確信していたが、病気を抱えた身で酒に頼り、精神状態が不安定になっていたギブソンに、同じことが可能だったとは思えない。さらに言えば、もしギブソンほどの実績の持ち主が万一メジャーで通用しなかったら、黒人選手は後に続けなかったかもしれない。ロビンソンが選ばれた背景には、そうした深慮遠謀があったのだ。
 
 黒人メジャーリーガー第1号になれず失望したペイジも、48年にはインディアンスに加入し、ワールドシリーズ優勝に貢献。52年には45歳で12勝し、ニグロリーグでの数々の伝説が真実だったかもしれないと印象付けた。だがギブソンには、そのチャンスすら与えられなかった。

 早すぎる死をもたらしたアルコール依存症や神経症が、メジャー入りが叶わなかった失意と関わっているのではないかとの推測もあった。だが、長男のジョシュ・ジュニアは「父はそんなことを気にする人ではなかった」と否定している。もし5年遅く生まれていれば、8歳年下のアービンと同じくメジャーでプレーできていただろうし、10歳若いキャンパネラと同世代だったら、ウィリー・メイズやハンク・アーロンに匹敵する成績を残していたかもしれなかった。そうでなくとも早い段階で脳腫瘍の手術を受けていれば、72年に実現した、黒人ではペイジに次いで3人目となる殿堂入りの栄誉を生きて味わえていたかもしれなかった。

 近年では、MLBにおける黒人選手の減少が大きな課題になっている。フットボールやバスケットボールに比べ、野球では黒人ならではの身体能力の高さがダイレクトに生かせないこと、大学野球が盛んでないために、奨学金を受け取って進学できるチャンスが少ないことなどが理由とされる。時代が変われば環境も変わるのだから、仕方ないことではある。だが、過去にはギブソンのように、メジャーでのプレーを渇望しながら果たせなかった多くの黒人選手がいたと思うと、複雑な思いに駆られる。

【プロフィール】
ジョシュア・ギブソン。1911年12月21日、ジョージア州生まれ。強打の捕手としてホームステッド・グレイズ、ピッツバーグ・クロフォーズなどのニグロリーグ球団でプレー。一説によれば通算本塁打は972本、打率は.350を超えたと言われる。40 ~ 41年にメキシコでプレーし、ニグロリーグに復帰した43年から2年連続でニグロワールドシリーズ優勝に貢献したが、アルコール依存症や脳腫瘍を患い、47年1月20日に死去。享年35歳。72年に殿堂入りを果たした。

文●出野哲也

※『スラッガー』2019年5月号より加筆・修正の上、転載
 

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