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プロ野球

【プロ野球‶悲運の天才”ランキング:5位~1位】”魔球”を操ったスーパールーキー、メジャー監督からも絶賛された”未完のスラッガー”

2020.04.27

▼2位 伊藤智仁(元ヤクルト)
「打者の視界から消える」と言われたほどの"魔球"高速スライダーを武器に、ルーキーイヤーの93年に見せた快進撃は今でも語り草だ。常に投球回を上回る三振を奪い、6月には1試合16奪三振のリーグタイ記録を樹立。109回を投げて防御率は驚異の0.91で、巨人の松井秀喜らを抑えて新人王を受賞した。

 だが、7月中旬に右ヒジ痛を発症して後半戦は全休。2年目のキャンプで今度は右肩痛を発症して結局94~95年も全休した。97年には抑えとして一時復活したが、その後も度重なる怪我に苦しめられ、デビュー年の快投は二度と再現できないまま03年に引退。だがそれでも、デビュー当時ヤクルトの監督だった故・野村克也氏が「自分が見た中で最高の投手は伊藤」と語るなど、その活躍は多くの人の目に焼き付いている。
 
▼1位 吉村禎章(元巨人)
 81年のドラフト3位で巨人に入団した彼は、当時の王貞治助監督が「僕の新人時代より数段上」と評するほど早熟した打者だった。2年目の83年に早くも一軍に定着。84年オフには日米野球で打率4割超の活躍を見せ、オリオールズの監督から「アメリカに連れて帰りたい」とすら言われた。83~87年は5年連続で打率3割以上、OPSも毎年.900を超えるなどリーグ屈指の強打者として活躍していた。

 だが88年7月6日、札幌円山球場で行われた対中日戦の8回に、左翼を守っていた吉村は中堅手の栄村忠広と激突。4本のうち3本の靭帯が断裂し、神経までも損傷する重傷を負った。

 一時は選手生命すら危ぶまれたが、2度の手術と長いリハビリを経て、翌年9月2日、423日ぶりにカムバック。だが、この故障によって、レギュラーとして常時試合に出ることは不可能になった。代打要員として現役を続けたものの、実働15年で通算1000本安打にすら到達できず、ファンからは「怪我がなければ巨人の歴史を変えた」と今でも惜しまれている。

文●筒居一孝(スラッガー編集部)

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