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プロ野球

コロナ後を見据える不屈の37歳。藤田一也の現状と礎を作った横浜時代の“特訓”

萩原孝弘

2020.05.25

 守備力には元々定評があった藤田にとって「自分の中ではバッティングが課題だと思って練習してました。今まで早出でバッティング練習をすることはあったけど守備練習をするって発想がなかったんです。一輝さんに誘われなかったら絶対、早出守備練習なんてしてなかったと思いますね」と、自分にはなかった発想でストロングポイントに、さらにに磨きをかけた。

 2009年にレギュラーに近づいたが、ホセ・カスティーヨ(故人)や、渡辺直人(現・楽天)らのライバルが次々と加入し、レギュラーを掴み切れずにいると、翌年2012年シーズン中の6月24日に楽天とのトレードが成立。入団時に「横浜以外なら社会人」とまで決意し「横浜ベイスターズで優勝したい」と、常に思い描いていた男にとって残酷な知らせが、遠征先の大阪で知らされた。本人にも、チームメイトにとっても、まさに青天の霹靂だった。
 
 楽天に移籍したその年の途中からは、横浜ではなかなか成しえなかったセカンドのレギュラーの座を奪取。それには「あの早出特守があったからこそ自信を持って守備につけた。その結果試合に出るチャンスをたくさん頂けて、優勝、日本一を経験できた。もし一輝さんが声をかけてくれてなければ、今の自分はないと思う。楽天に来てもなかなか試合にも出れなかったかもしれない。誘っていただいて1年間ホームゲームで早出特守、早出バッティングを続けられたことで今の自分がいる」と、偶然トレードでやってきた嶋村との出会いと、声をかけてくれたことに今でも感謝する。

 すっかり“杜の牛若丸”として仙台で愛される存在となった藤田。昨年のシーズンオフも、毎年恒例となっている京都で球場を貸し切り、トレーニングに励んだ。「自主トレはあくまでも自分の為にする練習なんで、色々なところにお金をかけることで自らにプレッシャーをかけて、甘えや妥協を許さないように自分を追い込んでいます。そうしないと僕は甘えるし、すぐにサボっちゃう」と、冗談めかしてその意義を説く。

 今回の自主トレには、独立リーグの若手数名も参加。聞かれたことには丁寧に答えたという。この姿勢は数多く在籍するチームメイトにも同じスタンスを貫く。「ライバルの若い選手からでも、質問されたら答えますよ。野球には“絶対こうじゃなきゃダメ”というものはないので“僕の場合はこうだよ”と、伝えるようにしています。人それぞれ身体の大きさ、手、足の長さ、柔軟性など同じ選手なんていないので、それぞれ自分に合ったものを早く知ってもらいたい。少しでもその選手のためになってくれたらいいなと思ってやっています」と、自らの経験を惜しみなく伝授する。

 それには「若い選手はこれからのイーグルスを背負う存在。みんなで切磋琢磨して、どんどんチームを強くしてほしい」との願いがある。そして「もう一度優勝したい!」という強い気持ちがある。
 

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