カナダの『モントリオール・ガゼッタ』紙により、現役時代のコルクバット使用疑惑が報じられたピート・ローズに対して、日本でも糾弾する声が上がっている。確かにここ数年は言動なで晩節を汚すような場面が散見されるものの、それでも現役時代のローズは素晴らしい選手で、多くのファンから愛された人気者だったのだ。
ローズが日本人のファンからこれほど敵視されているのは、2016年にイチローが日米通算4257安打の世界記録を達成した時に、あれこれ暴言を連発したことが始まりだ。ローズが何者かを知りもしない連中までが「イチローの偉業にケチをつける頑固ジジイ」呼ばわりし、当時は「記録を認めないのは、収入源のサイン会にヒット・キングの称号が必要だから」という怪しげな説も流布していた。
ローズがサイン会などで収入を得ているのは事実だから、そうした側面がまったくないわけではない。だが、それとイチローの記録とはほとんど関係ない。
ヒット・キングの称号を譲らないのは、それが揺るぎない公式記録であるというだけでなく、ローズという人間が異常なほどの負けず嫌いにして、比類なきファイティング・スピリットの持ち主であるからだ。その闘争心こそが、彼を空前の大記録へと導き、やがては転落を招く原因にもなったのである。
永久追放処分となった今でも、ローズはレッズのホームタウン・シンシナティでは大の人気者だ。それは彼が地元出身だからでもある。叔父のバディ・ブローバウムがスカウトをしていた関係で1960年にレッズへ入団すると、63年には正二塁手となり、打率.273で新人王を受賞した。特徴的なクラウチング・スタイルから左右にラインドライブを打ち分け、65年はリーグ最多の209安打。以後200安打10回、最多安打7回を記録。68年は打率.335、翌69年は自己最高の.348で2年連続首位打者となった。
このような打者としての才能や、チーム事情に応じてさまざまなポジションをこなす器用さ以上に、ローズはエネルギッシュなプレースタイルで人気を博した。
「すべてのスポーツ選手の中で、ローズ以上に自分の能力を超える結果を出した者はいないだろう。そしてまた、彼ほど勝利に対して貪欲だった者もいない」(野球史研究家のアンディ・スターギル)。ローズ自身、「才能だけじゃメジャーに上がれなかった。ハッスルプレーこそが俺をメジャーリーガーにして、そこにとどまらせた。それ以外のプレースタイルを俺は知らなかった」と認めている。
オープン戦でも四球で一塁に全力疾走した新人時代のローズに対し、ヤンキースの名左腕ホワイティ・フォードはからかい半分に"チャーリー・ハッスル"と命名。そのニックネームはローズの誇りとなった。レッズ時代にチームメイトだった殿堂入り二塁手のジョー・モーガンは、「162試合すべて全力プレーだった。どんな試合も彼にとってはワールドシリーズの第7戦だったんだ」と言っている。
グラウンド上では常にクールに振る舞い、滅多に感情を爆発させないイチローとは、ローズはまったく正反対だった。
ローズが日本人のファンからこれほど敵視されているのは、2016年にイチローが日米通算4257安打の世界記録を達成した時に、あれこれ暴言を連発したことが始まりだ。ローズが何者かを知りもしない連中までが「イチローの偉業にケチをつける頑固ジジイ」呼ばわりし、当時は「記録を認めないのは、収入源のサイン会にヒット・キングの称号が必要だから」という怪しげな説も流布していた。
ローズがサイン会などで収入を得ているのは事実だから、そうした側面がまったくないわけではない。だが、それとイチローの記録とはほとんど関係ない。
ヒット・キングの称号を譲らないのは、それが揺るぎない公式記録であるというだけでなく、ローズという人間が異常なほどの負けず嫌いにして、比類なきファイティング・スピリットの持ち主であるからだ。その闘争心こそが、彼を空前の大記録へと導き、やがては転落を招く原因にもなったのである。
永久追放処分となった今でも、ローズはレッズのホームタウン・シンシナティでは大の人気者だ。それは彼が地元出身だからでもある。叔父のバディ・ブローバウムがスカウトをしていた関係で1960年にレッズへ入団すると、63年には正二塁手となり、打率.273で新人王を受賞した。特徴的なクラウチング・スタイルから左右にラインドライブを打ち分け、65年はリーグ最多の209安打。以後200安打10回、最多安打7回を記録。68年は打率.335、翌69年は自己最高の.348で2年連続首位打者となった。
このような打者としての才能や、チーム事情に応じてさまざまなポジションをこなす器用さ以上に、ローズはエネルギッシュなプレースタイルで人気を博した。
「すべてのスポーツ選手の中で、ローズ以上に自分の能力を超える結果を出した者はいないだろう。そしてまた、彼ほど勝利に対して貪欲だった者もいない」(野球史研究家のアンディ・スターギル)。ローズ自身、「才能だけじゃメジャーに上がれなかった。ハッスルプレーこそが俺をメジャーリーガーにして、そこにとどまらせた。それ以外のプレースタイルを俺は知らなかった」と認めている。
オープン戦でも四球で一塁に全力疾走した新人時代のローズに対し、ヤンキースの名左腕ホワイティ・フォードはからかい半分に"チャーリー・ハッスル"と命名。そのニックネームはローズの誇りとなった。レッズ時代にチームメイトだった殿堂入り二塁手のジョー・モーガンは、「162試合すべて全力プレーだった。どんな試合も彼にとってはワールドシリーズの第7戦だったんだ」と言っている。
グラウンド上では常にクールに振る舞い、滅多に感情を爆発させないイチローとは、ローズはまったく正反対だった。