結局、木村は高校からのプロ入りを選択せず、社会人に進み、西武からの栄養費受給が発覚して1年間の出場禁止期間などを経て08年ドラフト1位でロッテに入団した。しかし、社会人時代にまとまりは出たものの、高校時代のスケールの大きさが薄れた印象が強かった。スポーツに「たら、れば」は禁物だが、高校からそのままプロに進んでいたらどうなったのかを見たかった投手である。
野手で今でも惜しいと思っているのが春田剛(元中日)だ。05年5月に行われた高校野球の春季関東大会で、水戸短大付高(現水戸啓明高)の4番として登場した春田は、初戦の春日部共栄戦でライトスタンドに2打席連続ホームランを放ってみせた。1本目は内角のストレートを大ファウルにした後の膝元の変化球に対応したもので、2本目はストレートを完璧にとらえ、いずれもスタンド中段まで運んでいる。
打ち方に悪い癖がなく、この年の高校生野手では評価の高かった平田良介(大阪桐蔭高→中日)やT-岡田(履正社高→オリックス)と比べても遜色ないレベルに見えた。プロでも1年目から二軍で7本塁打を放ったが、極度の腰痛に見舞われてわずか2年で球界を去った。順調にいけば平田とともに中日を支える存在になっていた可能性が高かっただけに、故障の怖さを思い知らされたという意味でも印象深い選手だ。
ここで紹介した選手以外にも、故障やフォームを崩したことが原因で実力を発揮できなかった選手は少なくない。彼らのことを思い出すたびに、改めてプロで一流になることの難しさを感じずにはいられない。
文●西尾典文
【著者プロフィール】
にしお・のりふみ。1979年、愛知県生まれ。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究。アマチュア野球を中心に年間約300試合を取材し、全国の現場に足を運んでいる。ドラフト、アマチュア野球情報サイト「プロアマ野球研究所(PABBlab)」を2019年8月にリリースして多くの選手やデータを発信している。
【PHOTOギャラリー】球界を牽引する名手たちの「高校」「大学」当時を秘蔵写真で振り返る
野手で今でも惜しいと思っているのが春田剛(元中日)だ。05年5月に行われた高校野球の春季関東大会で、水戸短大付高(現水戸啓明高)の4番として登場した春田は、初戦の春日部共栄戦でライトスタンドに2打席連続ホームランを放ってみせた。1本目は内角のストレートを大ファウルにした後の膝元の変化球に対応したもので、2本目はストレートを完璧にとらえ、いずれもスタンド中段まで運んでいる。
打ち方に悪い癖がなく、この年の高校生野手では評価の高かった平田良介(大阪桐蔭高→中日)やT-岡田(履正社高→オリックス)と比べても遜色ないレベルに見えた。プロでも1年目から二軍で7本塁打を放ったが、極度の腰痛に見舞われてわずか2年で球界を去った。順調にいけば平田とともに中日を支える存在になっていた可能性が高かっただけに、故障の怖さを思い知らされたという意味でも印象深い選手だ。
ここで紹介した選手以外にも、故障やフォームを崩したことが原因で実力を発揮できなかった選手は少なくない。彼らのことを思い出すたびに、改めてプロで一流になることの難しさを感じずにはいられない。
文●西尾典文
【著者プロフィール】
にしお・のりふみ。1979年、愛知県生まれ。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究。アマチュア野球を中心に年間約300試合を取材し、全国の現場に足を運んでいる。ドラフト、アマチュア野球情報サイト「プロアマ野球研究所(PABBlab)」を2019年8月にリリースして多くの選手やデータを発信している。
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