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プロ野球

10代の最多本塁打記録を更新。「世代最強」に駆け上がった村上宗隆の成長の糧となった高校時代の好敵手

加来慶祐

2019.09.15

 村上の1年秋以降といえば、日の出の勢いで台頭を続けた秀岳館高の隆盛期でもあった。
 1年時から夏の熊本大会決勝を逃したことがない村上だったが、2、3年時はいずれも秀岳館に敗れている。秀岳館と戦った決勝2試合では計8打数1安打、6三振。特に川端健斗
(現・、田浦文丸(現ソフトバンクの左腕2枚看板に対してはスライダーに泳がされ続け、本来の打撃をまったくさせてもらえなかった光景ばかりが目に浮かぶ。高校時代に県内の公式戦で喫した5敗のうち、4敗は秀岳館に喫したものだ。当時の村上が「どうして自分の時に限って、この代にはまってしまったのだろう」とこぼしたのは事実で、口癖のように「自分の力不足」と頭を抱えていたものだ。


「踏み込みと同時にヘッドが走るために、どうしても“割れ”が不充分な時がある。トップを作り切れていないまま、スウィングしてしまうのです。これは高校を引退してから気づいたポイントなのですが、秀岳館のバッテリーには自分の割れを崩されていたんだと思います」

 ただ、3季連続甲子園ベスト4という結果を残した川端や田浦といった世代屈指の左腕攻略に向けて、練習や工夫を重ねてきたことが打者・村上宗隆を成長させたのは事実で、村上自身もそこは認めている。また、清宮や高校通算65本塁打の安田尚憲履正社高→ロッテなど、比較対象となる同学年の左の強打者の存在がちらついたことも、打者としての精進を続ける上で大きなモチベーションとなったはずである。
 一方、それと同等かそれ以上に大きかったのは、捕手としての経験値だ。破壊力と機動力を兼ね備えた秀岳館打線を封じるためにと、配球やインサイドワークを研究し、送球や捕球といった捕手に求められる総合力を高めることに没頭したことが、野球選手としての能力をトータルで引き揚げる結果につながったのだと、3年夏を終えたばかりの村上は胸を張って答えている。

 9月14日時点で、打率.228は規定打席到達者の中ではリーグ最下位。シーズン日本人選手最多三振の記録も更新したが、セ・リーグではただひとり全試合出場を続け、打点92はトップのソト(DeNA)と8差のリーグ2位。100打点とタイトル獲得も夢ではない。

「清宮とはいずれ打撃タイトルを争って、そこで勝ちたいなと思います。部門は何でも構いません。本塁打だけじゃなくて、打率でも打点でも勝負したい。そして1日でも早く、清宮や安田、増田らのライバルと言われるような存在になりたいです」

 2年前の秋、村上は“下から目線”でライバルたちに挑みかかることを宣言した。しかし、結果を見れば一目瞭然だ。村上宗隆はすでにこの世代のトップに上り詰めてしまった。

 それはもはや、疑いようがない事実だ。

 【著者プロフィール】
かく・けいすけ/1976年生まれ。プロ・アマ野球を中心に取材活動を展開しているスポーツライター。野球専門各誌や複数のウェブ媒体への寄稿に加え「中九州高校野球フェスティバル」を主宰するなど野球の強人口拡大を狙った競技普及活動にも精力的に取り組んでいる。

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