9回裏、先頭のジェフ・ケントがセンターへのソロ本塁打を放つと、続くJD・ドリューも右中間へ一発。沸き立つ場内。騒ぎを知ったファンも少しずつ球場に帰ってきた。2点差に迫られたパドレスはたまらずホフマンを投入……が、ドジャース打線の勢いは止まらない。ラッセル・マーティンが初球をレフトスタンドへ運び1点差。さらにマーロン・アンダーソンが、またしても初球を一閃。何とドジャースは、9回裏から4者連続ホームランで試合を振り出しに戻したのだった。
「サミー(斎藤の愛称)を負け投手にはできない」。チームメイトが生み出した奇跡のような光景に、斎藤はベンチで涙し、立ち上がることすらできなかった。延長10回、1点を勝ち越されたドジャースだったがその裏、先頭が四球で出塁すると、3番のノマー・ガルシアパーラが完璧すぎる一発を左中間スタンドへ運んで逆転サヨナラ2ラン。選手も、ファンも、実況も大興奮する壮絶なる結末となったのだ。
この試合時点で本塁打数リーグワーストだったチームが、メジャー42年ぶりの4者連続ホームラン、さらにサヨナラアーチというのは、誰が想像できただろうか。結局、ドジャースとパドレスは同じ88勝74敗でフィニッシュ。ただ、この対戦カードで18戦13勝とパドレスが圧勝したことで優勝はパドレス、ドジャースはワイルドカードに回ることになったが、ドジャースが勝った5勝のうちの一つは、文字通り球史に刻まれ続けている。
ドジャースが衝撃的な展開で快挙を達成して以降、07年、08年、10年、17年、19年、そして今回と、4者連続弾は化石のような記録ではなくなった。しかし、斎藤が経験したような、まさに「事実は小説よりも奇なり」という状況で生まれることは、今後ないかもしれない。
ちなみに、連続ホームランの記録は1971年、5月3日のロッテ戦で東映(現・日本ハム)が記録した『5者連続』だ。8回まで1対6で劣勢だった東映は相手のエラーなどで9回に追いつくと迎えた延長10回、2死満塁のチャンスを作る。すると、投手の代打で出場した作道烝がレフトスタンドへ満塁弾を放って一気に逆転。さらに、1番・大下剛史、2番・大橋穣、3番・張本勲、4番・大杉勝男の全員がレフト柵越えの一発で続いたのだ。9回の5点を追いつかなければ生まれなかった“奇跡”も、50年近くが経った今も破られないことを思えば、偶然起きたエラーではなかったのかもしれない。
構成●SLUGGER編集部
「サミー(斎藤の愛称)を負け投手にはできない」。チームメイトが生み出した奇跡のような光景に、斎藤はベンチで涙し、立ち上がることすらできなかった。延長10回、1点を勝ち越されたドジャースだったがその裏、先頭が四球で出塁すると、3番のノマー・ガルシアパーラが完璧すぎる一発を左中間スタンドへ運んで逆転サヨナラ2ラン。選手も、ファンも、実況も大興奮する壮絶なる結末となったのだ。
この試合時点で本塁打数リーグワーストだったチームが、メジャー42年ぶりの4者連続ホームラン、さらにサヨナラアーチというのは、誰が想像できただろうか。結局、ドジャースとパドレスは同じ88勝74敗でフィニッシュ。ただ、この対戦カードで18戦13勝とパドレスが圧勝したことで優勝はパドレス、ドジャースはワイルドカードに回ることになったが、ドジャースが勝った5勝のうちの一つは、文字通り球史に刻まれ続けている。
ドジャースが衝撃的な展開で快挙を達成して以降、07年、08年、10年、17年、19年、そして今回と、4者連続弾は化石のような記録ではなくなった。しかし、斎藤が経験したような、まさに「事実は小説よりも奇なり」という状況で生まれることは、今後ないかもしれない。
ちなみに、連続ホームランの記録は1971年、5月3日のロッテ戦で東映(現・日本ハム)が記録した『5者連続』だ。8回まで1対6で劣勢だった東映は相手のエラーなどで9回に追いつくと迎えた延長10回、2死満塁のチャンスを作る。すると、投手の代打で出場した作道烝がレフトスタンドへ満塁弾を放って一気に逆転。さらに、1番・大下剛史、2番・大橋穣、3番・張本勲、4番・大杉勝男の全員がレフト柵越えの一発で続いたのだ。9回の5点を追いつかなければ生まれなかった“奇跡”も、50年近くが経った今も破られないことを思えば、偶然起きたエラーではなかったのかもしれない。
構成●SLUGGER編集部