1986年8月25日。2位で首位の近鉄を追う西武は、平和台球場で日本ハムと対戦し、2回に伊東(現中日ヘッドコーチ)、辻(現西武監督)の適時打で2点を先制。「6番・一塁手」で先発した清原は、4回に津野浩(高知商)から中越えに17本目となるソロ本塁打を放った。
榎本喜八(毎日)の16号を抜き、高卒ルーキーの本塁打記録で2位となる一発は、チームにとっても7月9日以来の首位に返り咲く値千金の一打だった。
津野には甲子園で対戦しており、「相性もよく燃えていた」と試合後にコメントした清原だが、幻の本塁打になりかねなかったことを3日後に知ることになる。8月28日、本拠地・西武球場で行われたロッテ戦の試合前。パ・リーグ審判の前川芳男(元パ・リーグ審判部長)から「清原、わかっているか。17号は一塁を踏んでなかったぞ」と告げられたのだ。
25日の試合で一塁線審を務めていたのが前川。清原は一塁ベースを踏まずにダイヤモンドを一周し、打者走者の動きを確認していなかった日本ハムの一塁手、パットナムからのアピールがなく本塁打として成立したという。
34年前の出来事を、明確に覚えていない前川だが、「これからのプロ野球を背負っていく存在。新人でまだ右も左も分からないだろうから、ちゃんとしたマナーも含め、彼のために話したのでしょう」と語る。18号を放った試合後に「(17号の時には)ベースは意識していなかった」と振り返った清原。幻の本塁打になれば、同じように新人だった1958年に一塁を踏み忘れ、「投ゴロ」の記録を残した巨人・長嶋茂雄(現巨人軍終身名誉監督)をほうふつとさせる「伝説」になっていたことだろう。
清原は、初めて4番に座った10月7日のロッテ戦(川崎)で31号を放ち、桑田武(大洋、現DeNA)の新人最多本塁打に並んだ。勝負事に「もし」は禁物だが、日本ハム側が一塁踏み忘れをアピールしていれば、1年目の本塁打は30本に終わり、27年ぶりのタイ記録は実現しなかったかもしれない。
「(17号が取り消されていたら?)もう1本打っていましたよ」
シーズン終了後に聞いた言葉は、ルーキーとは思えないプロ根性を感じさせた。
文●北野正樹(フリーライター)
【著者プロフィール】
きたの・まさき/1955年12月3日、大阪府出身。1979年から2020年11月まで全国紙の主に運動部でプロ野球の南海、阪急、巨人、オリックス、阪神や高校野球、バレーボール、バドミントン、プロゴルフなどを担当。プロ野球では1988年の南海ホークス、阪急ブレーブスの球団譲渡のほか、桑田・清原のKKドラフト、元木の1年浪人などを取材。南海が身売りを決断する「譲渡3条件」を特報した。バレーボールでは富士フイルムや東洋紡などの休廃部や加藤陽一の海外挑戦、2020年にはティリ・フランス代表監督のパナソニック監督就任や柳田将洋のサントリー復帰などを先行報道。1995年の「阪神・淡路大震災」では自衛隊を担当し、当時、正しく理解されることの少なかった自衛隊の活動を詳報した。
榎本喜八(毎日)の16号を抜き、高卒ルーキーの本塁打記録で2位となる一発は、チームにとっても7月9日以来の首位に返り咲く値千金の一打だった。
津野には甲子園で対戦しており、「相性もよく燃えていた」と試合後にコメントした清原だが、幻の本塁打になりかねなかったことを3日後に知ることになる。8月28日、本拠地・西武球場で行われたロッテ戦の試合前。パ・リーグ審判の前川芳男(元パ・リーグ審判部長)から「清原、わかっているか。17号は一塁を踏んでなかったぞ」と告げられたのだ。
25日の試合で一塁線審を務めていたのが前川。清原は一塁ベースを踏まずにダイヤモンドを一周し、打者走者の動きを確認していなかった日本ハムの一塁手、パットナムからのアピールがなく本塁打として成立したという。
34年前の出来事を、明確に覚えていない前川だが、「これからのプロ野球を背負っていく存在。新人でまだ右も左も分からないだろうから、ちゃんとしたマナーも含め、彼のために話したのでしょう」と語る。18号を放った試合後に「(17号の時には)ベースは意識していなかった」と振り返った清原。幻の本塁打になれば、同じように新人だった1958年に一塁を踏み忘れ、「投ゴロ」の記録を残した巨人・長嶋茂雄(現巨人軍終身名誉監督)をほうふつとさせる「伝説」になっていたことだろう。
清原は、初めて4番に座った10月7日のロッテ戦(川崎)で31号を放ち、桑田武(大洋、現DeNA)の新人最多本塁打に並んだ。勝負事に「もし」は禁物だが、日本ハム側が一塁踏み忘れをアピールしていれば、1年目の本塁打は30本に終わり、27年ぶりのタイ記録は実現しなかったかもしれない。
「(17号が取り消されていたら?)もう1本打っていましたよ」
シーズン終了後に聞いた言葉は、ルーキーとは思えないプロ根性を感じさせた。
文●北野正樹(フリーライター)
【著者プロフィール】
きたの・まさき/1955年12月3日、大阪府出身。1979年から2020年11月まで全国紙の主に運動部でプロ野球の南海、阪急、巨人、オリックス、阪神や高校野球、バレーボール、バドミントン、プロゴルフなどを担当。プロ野球では1988年の南海ホークス、阪急ブレーブスの球団譲渡のほか、桑田・清原のKKドラフト、元木の1年浪人などを取材。南海が身売りを決断する「譲渡3条件」を特報した。バレーボールでは富士フイルムや東洋紡などの休廃部や加藤陽一の海外挑戦、2020年にはティリ・フランス代表監督のパナソニック監督就任や柳田将洋のサントリー復帰などを先行報道。1995年の「阪神・淡路大震災」では自衛隊を担当し、当時、正しく理解されることの少なかった自衛隊の活動を詳報した。