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プロ野球

【プロ野球秘話】再建を託されて「怖いんですわ」と本音。村山実の言葉から分かる阪神監督の凄まじいプレッシャー

北野正樹

2021.01.02

 しかし、村山に苦難の道が待ち構えていた。ヘッドコーチとして58年の阪神退団以来の復帰となった田宮謙次郎が5月初旬、練習中に脚の肉離れで戦列を離れ、そのままフロント入りしてしまう。さらに長男の病気で帰国したバースの来日のメドが立たず、6月下旬に契約解除に踏み切った。掛布も7月中旬に腰痛のため戦列を離れ、9月に現役引退を発表することに。6月22日には3連敗で早くも30敗目を喫し、腹心のヘッドコーチ、主力打者を欠き51勝77敗2分けで2年連続最下位に沈む。

 この間、7月19日朝、球団代表の古谷真吾が宿泊先の東京都内のホテルで転落死。6月10日付で球団本部長から球団代表に就任したばかり。バース退団や掛布の現役引退騒動の処理など、心労による自死とされた。古谷は村山が1970年、一度目の阪神監督に就任した時の球場長。16年ぶりに「代表」と「監督」として一緒に仕事をすることになっただけに、村山は「時間をふんだんに割いて2人でチーム再建を図ってきたのに」と落胆を隠さなかった。
 
 翌89年は54勝75敗1分けで、順位を一つ上げたものの村山は5位でユニホームを脱ぐ。シーズン途中の9月17日の甲子園でのヤクルト戦終了後、辞意を表明した村山の退陣の弁は「もうみなさんに騒がれたくないので決めました。2年間は短かったかもしれないが、若手が使えるめどがついた。どうか明日から静かにゲームをさせて下さい」という報道陣への訴えだった。

 村山は9年後の1998年8月22日、直腸がんのため61歳の若さで急逝。巨人・長嶋茂雄にサヨナラ本塁打を許し球史に残る天覧試合など、野球ファンだけでなく記録にも記憶にも残る大エースだった。

文●北野正樹(フリーライター)
【プロフィール】 きたの・まさき/1955年12月、大阪府出身。1979年から2020年11月まで一般紙でプロ野球の南海、阪急、巨人、オリックス、阪神や高校野球、バレーボールなどを担当。1988年の南海、阪急の球団譲渡や桑田・清原のKKドラフトなどを取材。南海が身売りを決断する「譲渡3条件」を特報した。2020年はバレーボールのティリ・フランス代表監督のパナソニック監督就任や柳田将洋のサントリー復帰などを先行報道。1995年の「阪神・淡路大震災」で担当した自衛隊取材はライフワーク。

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