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MLB

「生き残りたいならナックルを投げ続けろ」――ナックルボールとともに生きたフィル・ニークロの数奇な人生

豊浦彰太郞

2021.01.04

 そんな逆風の中、ニークロの立ち位置を確かなものにしてくれたのが、捕手のボブ・ユッカー(現在はブルワーズの名物ブロードキャスター)の存在だった。「生き残りたいならナックルボールを投げ続けろ」とユッカーはニークロを励ました。そして、67年にニークロは本格的に開花。ニークロが防御率(1.87)リーグ1位になった代わりに、ユッカーはリーグ最多のパスボールを記録して現役にピリオドを打った。

 ユッカーがチームから去った後も、ニークロのナックルボールは踊り続けた。69年に23勝を挙げ、74年には20勝で最多勝利のタイトルを獲得した。77年にはナ・リーグトップの262三振を奪ったが、この年のア・リーグ奪三振王は“カリフォルニア超特急”の異名をとるノーラン・ライアン(エンジェルス)。豪速球をズバズバ投げ込むライアンと、“超遅球”を操るニークロは同じタイトルを獲得するのは、極めて興味深い対照形だった。

 さらに79年には21勝(20敗!)を挙げ、最多勝のタイトルを実弟で同じナックルボーラーのジョー(アストロズ)と分け合った。なお、ニークロ兄弟は合計で通算539勝を記録しており、これは、ジムとゲイロードのペリー兄弟(529勝)を上回る史上最多記録である。
 
 ヤンキース在籍中の85年、シーズン最終戦に完封で300勝を達成した。この試合、前日にヤンキースはプレーオフ進出の可能性が途絶えたこともあり、ニークロは最後の打者までナックルボールを投げなかった。「自分はナックルボーラー以前に投手であることを証明したかった」からだ。しかし、最後の打者にはやはりナックルボールで勝負し、三振を奪った。

 殿堂入りは97年。318勝も挙げながら、資格5年目でようやくクーパーズタウンに辿り着いた。ほぼ同時期に活躍した不正投球スピットボールの名手、通算314勝のゲイロード・ペリーが3度目の投票で殿堂入りを果たしているのとは対照的だ。もちろん、殿堂入り投票は相対評価であり、彼らの投票年は重なっていないので、必ずしもニークロがペリーより低評価だったとは言い切れない。いずれにしても、ニークロのナックルボールが、ペリーのスピットボールと同等か、それ以上に偉大なボールだったことは間違いない。

文●豊浦彰太郎

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