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MLB

「名将」というより「チアリーダー」?青い血が流れるラソーダのドジャース生活71年

豊浦彰太郞

2021.01.12

 ラソーダのこの姿勢は、70年代当時はとても斬新だった。前任のオルストンは23年間もドジャースの監督を務めたが、常に選手の上に君臨して支配する「上から目線」の管理者だった。何もオルストンが特別だったわけではない。それが当時のスタンダードだった。ラソーダのライバル監督だったヤンキースのビリー・マーチンも、スター選手のレジー・ジャクソンをエラーを犯した直後にベンチに下げるという、侮辱行為ともみなされる起用も辞さない“専制君主”だった。

 そんな監督のあり方が、ラソーダ登場して以降、少しずつ変化していった。、91~2005年にブレーブスを14季連続地区優勝に導いた名将ボビー・コックスも、ラソーダほどの華やかさはなかったが、基本的には同じタイプ。ヤンキースで4度の世界一を成し遂げたジョー・トーリも、選手を尊重して能力を引き出すという点では、ラソーダの流れを汲んでいると言えるかもしれない。
 
 だが、ラソーダの引退後、球界はまた大きく変わった。選手起用や戦術は、監督が自身の経験を基にゲームの流れを読んで行うものではなく、専門スタッフによる精緻なデータ分析に基づくものとなり、もはや、ラソーダのような指揮官は時代遅れとなってしまった。

 だが、それでも彼の価値が失われるわけではない。ずいぶん前の話だが、あのボビー・バレンタインが日本のテレビ番組で自身の人生の転機について語ったことがある。若い頃は有望株だったバレンタインは故障もあって伸び悩み、ある年のオフにかつての恩師であるラソーダから、「もうあきらめろ」と告げられた。「君には見込みがない。若いうちに人生をやり直した方がいい」と語るラソーダは、目に涙を浮かべていたという。選手にそう告げることは、人情家のラソーダにとって断腸の思いだったのだろう。

 その時、自分の能力の限界を悟ったというバレンタインだが、その後は指導者としての才能を開花させ、日米で監督として実績を挙げた。その後もラソーダを「父親のようだ」と慕い続けたバレンタインはラソーダの訃報に接し、心からの感謝を語っていた。

文●豊浦彰太郎

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