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MLB

74年日米野球の“頂上決戦“に日本中が注目――ハンク・アーロンと王貞治が育んだ友情〈SLUGGER〉

豊浦彰太郞

2021.01.28

 その年の秋、日米野球ではメッツが来日したのだが、途中でアーロンもやって来て、後楽園球場で王貞治とホームラン競争を行った。アーロンにとっては余興で、バットすら持参していなかったそうな。両翼90メートルの(実際はもっと狭かったという説もある)球場を見て、「(ホームランは)いくらでも打てる」と思ったいう。

 しかし、アーロンの内心がどうあれ、当時のぼくにとって、これは“世界の頂上決戦”だった。メジャー歴代ナンバーワンの本塁打王に、我らが王貞治が挑むのだ。今にしてみると滑稽かもしれないが、少なくともその日、朝からぼくの緊張感は、例えるなら侍ジャパンのWBC決勝戦を目の前にしたそれと同じだった。この試合のテレビ視聴率は27.8%もあったというから、ぼくと同じ思いで見守ったファンは少なくなかったようだ。結果は10本対9本で、王は“惜敗”した。これはアーロンと王の両者にとって、ベストのシナリオだったかもしれない。

 前置きが長くなったが、そのアーロンが22日に亡くなった。昨年から殿堂入りした名選手の訃報が続いているが、日本での報道はアーロンが断然多い。それは単に彼の業績が傑出していたというだけでなく、やはり王との「本塁打世界記録」の絡みがあったからだろう。77年に王が放った通算756号を世界記録ともてはやしたのは、イチローの日米通算4367安打を「日米通じて歴代1位」と騒ぎ立てるのと同じくらい愚かなことなのだけれど、当時の日本の野球ファンはぼくも含め、何の疑いも持たずに狂喜乱舞した。そして、このような姿勢をアーロンは肯定こそしなかったが、決して否定もしなかった。そして、その後も王と友情を育んだ。
 
 アーロンは、2000年に行われた史上初のMLB日本開幕戦で始球式を行った。それは、彼が偉大な元選手であり、(少なくとも数の上では)王貞治に抜かれた存在であり、そのことによって日本でも抜群の知名度があったからだ。いや、王も同様だろう。彼がここまで特別な存在になり得たのも、アーロンの持つ「大リーグ」の通算本塁打記録を抜いたからだ。

 巨人のV9時代を象徴するのは3番・王、4番・長嶋茂雄の“ON砲”だったが、「O」と「N」は決して対等ではなかった。数字の上では王は長嶋を早い段階で凌駕していたが、高度経済成長期の日本において、野球という枠を越えて老若男女問わず愛された国民的ヒーローは、あくまで長嶋だった。「記録に残る男」である王は、「記憶に残る男」である長嶋を超える存在には、容易にはなり得なかった。しかし、ぼくはアーロンの記録を抜くことによって、王が長嶋という壁を越えたと言えると思う。王の最終的な通算本塁打数は868だが、彼を象徴する数字はあくまでアーロン越えの756だったのだ。

 756号を記録した77年のオフ、王が出演する有名人対抗のど自慢大会をテレビで見た。各出場者が歌い終えるとその歌唱力が100点満点で表示されるのだが、大トリの王が十八番の「マイ・ウェイ」を歌い上げると、なぜか「756点!」が表示される。そして、審査員の作曲家先生も王を褒めちぎる、という展開だった。その時点で王の通算本塁打は766本に達していたはずだが、番組を盛り上げるための演出としては、やはりアーロン越えの756であるべきだったのだ。

文●豊浦彰太郎
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