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MLB

21年連続で球宴出場、KKKに脅かされた少年時代――アーロンが残した記録と逸話の数々

宇根夏樹

2021.01.30

▼史上最強のホームラン・デュオ
 アーロンと同時代のブレーブスには、通算512本塁打のスラッガー、エディ・マシューズもいた。彼とアーロンは54年~66年の13年にわたってデュオを形成。この期間に2人が放った計863本塁打(アーロン442本/マシューズ421本)は、歴史上のどのコンビよりも多い。ルースと“鉄馬”ルー・ゲーリッグですら、コンビでは計859本塁打(23~34年=511本/348本)。当時はこの記録が話題になることはなかったが、アーロンはこちらでもルースを抜いたことになる。

▼唯一の心残りは…
 アーロンはパワーだけの打者ではない。首位打者も2度獲得しており、通算打率も3割を超えている。70年に通算3000安打に到達した時には「ルースの記録に追いつければすごいこと。でも、打撃の確実さという点では3000安打の方が重要」と語っている。引退後は「三冠王になれなかったことが唯一やり残したこと」と何度も口にしていたように、打撃三冠すべてでトップ5入りすること4度。もっとも惜しかったのが63年で、44本塁打が1位タイ、130打点が1位、打率.319は7厘差の3位タイだった。
 
▼すべてに優れた“5ツール・プレーヤー”
 相棒のマシューズは「すべてにおいて、彼は他の選手に勝るとも劣らなかった。多くの人がアーロンよりウィリー・メイズ(ジャイアンツなどで通算660本塁打を放った名外野手)の方が上だと言う。でも、アーロンはミルウォーキーという田舎で、メイズは大都会のニューヨークでプレーしていた。アーロンがニューヨークにいれば、人々は彼の方が優れた選手だと気づいたはずさ」と語っている。

 元チームメイトの証言という点を差し引いても、実際、アーロンは優れた5ツール・プレーヤーだった。シーズン20盗塁以上を6度記録し、63年には史上3人目(4度目)の30-30(44本塁打&31盗塁)を達成した。ライトの守備でも強肩を武器に、毎年のように2ケタ補殺を記録。通算179補殺は右翼手歴代8位の数字だ。

 しばしば「クワイエット・マン(静かなる男)」と形容されたように、アーロンにルースのような破天荒さは見当たらず、メイズほど華やかな選手でもなかった(もちろん、ボンズのような傲慢さとも無縁だった)。だが、こうして駆け足でキャリアを振り返っただけでも、その偉大さは明らかだ。昨今、「レジェンド」という言葉は乱発されている感もあるが、アーロンが真に「レジェンド」と呼ぶに値する数少ない存在であることに異論の余地はないだろう。

文●宇根夏樹

【著者プロフィール】
うね・なつき/1968年生まれ。三重県出身。『スラッガー』元編集長。現在はフリーライターとして『スラッガー』やYahoo! 個人ニュースなどに寄稿。著書に『MLB人類学――名言・迷言・妄言集』(彩流社)。

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