専門5誌オリジナル情報満載のスポーツ総合サイト

  • サッカーダイジェスト
  • WORLD SOCCER DIGEST
  • スマッシュ
  • DUNK SHOT
  • Slugger
プロ野球

平成の松坂と昭和の江川。球史を彩った2人の怪物の物悲しい共通点とは【豊浦彰太郎のベースボール一刀両断!】

豊浦彰太郞

2021.07.21

 江川が気の毒だったのが、当時はまだ「昭和スポ根」の時代だったことだ。現代の価値観で顧みると、自らの進路選択を妥協しないのは至極当然だが、当時は「ワガママ」と糾弾された。危険なピッチャー返しを避けたことは、打球を額に受けた高校生投手の敢闘精神との対比で酷評された。「100球肩」と揶揄されたが、完投を追求するリスクを当時はだれも指摘しなかった。

 江川の合理的な考え方は、「手抜き」と批判的に受け取られた時代だった。そのような時代に、入団時の経緯から、大袈裟に言えば日本中を敵に回した日々を過ごす精神的負担が、早期の引退を彼に選択せしめた可能性は拭い去れない。

 松坂の場合は、全盛期にメジャーに移籍しながら、故障もあって竜頭蛇尾に終わったことが印象を悪くしている。彼の移籍先に関しては、太平洋を跨ぐ報道合戦が展開され、レッドソックスは総額で1億ドル以上の金額を松坂獲得に注ぎ込んだ。「ジャイロボール」なる魔球を操ると噂され、公式戦で1球も投げていない時点で「今年のサイ・ヤング賞候補」にも名前が挙がったほどだ。

 しかし、最初の2年で計33勝(15敗)を記録したが、それ以降はヒジの故障とトミー・ジョン手術、そしてそのリハビリの日々で、大型契約はすっかり不良債権となってしまった。加えて、NPB復帰後も故障とリハビリを繰り返す日々が続いたのはまだ記憶に新しい。
 
 江川のプロ歴はいわば「腹八分目で短か目」だったのに対し、松坂のそれは高卒でのプロ入りということもあって日米通算23年にも及んだが、最後の11年間では計16勝しか挙げていない。あまりにも長い“晩年”だったといえる。

 2人の“怪物”に対して、ファンは長く「潜在力」と「夢」を語り続けた。しかし、アマ時代の強烈なイメージに由来する、「期待」という名の飢えと渇きは完全には癒やされることがないまま、ついに別れの時を迎えてしまった。

文●豊浦彰太郎

【著者プロフィール】
北米61球場を訪れ、北京、台湾、シドニー、メキシコ、ロンドンでもメジャーを観戦。ただし、会社勤めの悲しさで球宴とポストシーズンは未経験。好きな街はデトロイト、球場はドジャー・スタジアム、選手はレジー・ジャクソン。
 

RECOMMENDオススメ情報

MAGAZINE雑誌最新号