山﨑退団からわずか2年後の06年オフ、同じオリックスで今度は中村紀洋も騒動を経て退団した。この時、中村が対立したのは監督ではなく球団フロントで、きっかけはこの年の中村が死球で左手首を故障したことだった。この怪我が原因で中村は85試合の出場にとどまったものの、12本塁打はチーム2位。まずまずの成績だったこともあり、契約更改は揉めに揉めた。
「公傷」を主張する中村に対し、球団側はそれを認めず、年俸2億円から60%減の8000万円を提示。交渉は平行線となり、越年で6回も交渉した末に決裂となった。退団した中村に支配下契約のオファーを出す球団はなく、結局中日と育成契約。年俸はわずか400万円で、前年からの年俸ダウン率98%は史上最も大きな減額となっている(開幕直前に支配下登録され、年俸は600万円まで上昇)。
ここまで挙げたものは、どちらかといえば球団内部の事情やトラブルが原因となっているが、中田の場合は一歩間違えば刑事事件である。過去には実際に逮捕され、一度はプロ野球選手の身分を失った選手もいる。
66年の2次ドラフト1位(この年のドラフトは国体に出場したか否かで対象が1次・2次にそれぞれ分かれていた)で社会人の日本軽金属からサンケイアトムズ(現ヤクルト)に入団した加藤俊夫は強肩強打を武器に、2年目から正捕手に定着。だが、4年目の70年シーズン途中に、無免許で車を運転した挙句、交通事故を起こして逮捕されてしまった。球団から無期限出場停止処分を科された上に、オフにはあえなく解雇。後年、加藤は「この頃はプロを舐めていた時期だった」と後悔を込めて振り返っている。
だが、1年のブランクを経て日本ハムの前身である東映フライヤーズで現役復帰すると、再び正捕手として活躍。オールスターには4度出場し、77年にはベストナインとダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデン・グラブ賞)を受賞するなど、リーグ屈指の捕手として再起を果たした。
中田が今後どのような道をたどるかはまだ分からないが、再びグラウンドに立つことがあれば、加藤のように心を入れ替え、プレーでファンの話題をさらう選手に戻ってほしい。
構成●SLUGGER編集部
「公傷」を主張する中村に対し、球団側はそれを認めず、年俸2億円から60%減の8000万円を提示。交渉は平行線となり、越年で6回も交渉した末に決裂となった。退団した中村に支配下契約のオファーを出す球団はなく、結局中日と育成契約。年俸はわずか400万円で、前年からの年俸ダウン率98%は史上最も大きな減額となっている(開幕直前に支配下登録され、年俸は600万円まで上昇)。
ここまで挙げたものは、どちらかといえば球団内部の事情やトラブルが原因となっているが、中田の場合は一歩間違えば刑事事件である。過去には実際に逮捕され、一度はプロ野球選手の身分を失った選手もいる。
66年の2次ドラフト1位(この年のドラフトは国体に出場したか否かで対象が1次・2次にそれぞれ分かれていた)で社会人の日本軽金属からサンケイアトムズ(現ヤクルト)に入団した加藤俊夫は強肩強打を武器に、2年目から正捕手に定着。だが、4年目の70年シーズン途中に、無免許で車を運転した挙句、交通事故を起こして逮捕されてしまった。球団から無期限出場停止処分を科された上に、オフにはあえなく解雇。後年、加藤は「この頃はプロを舐めていた時期だった」と後悔を込めて振り返っている。
だが、1年のブランクを経て日本ハムの前身である東映フライヤーズで現役復帰すると、再び正捕手として活躍。オールスターには4度出場し、77年にはベストナインとダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデン・グラブ賞)を受賞するなど、リーグ屈指の捕手として再起を果たした。
中田が今後どのような道をたどるかはまだ分からないが、再びグラウンドに立つことがあれば、加藤のように心を入れ替え、プレーでファンの話題をさらう選手に戻ってほしい。
構成●SLUGGER編集部