7位:DeNA(932.2)
65年の第1回から現在までの総PVを計算すると、楽天を除く全球団ワーストの数字となるが、00~15年に限れば7位まで上昇。内川聖一(00年1位/69.1)をはじめ、村田修一(02年自由枠/151.2)、梶谷隆幸(06年高校3位/132.4)、筒香嘉智(09年1位/254.9)、宮﨑敏郎(12年6位/100.9)と、数年おきに好選手を輩出している。投手では山崎康晃(14年1位)の39.5が最多。
8位:阪神(849.1)
03年に自由枠で獲得した鳥谷敬が通算PV319.1と大成功。チーム単位でPV100以上を記録したのはこの年だけだが、ほぼ毎年何らかの形で戦力になった選手を指名できており、外れだったと言えるのは合計10未満に終わった07、11、14年くらい。
09年6位の原口文仁(32.9)、15年5位の青柳晃洋(46.0)のように下位から這い上がった選手もいるが、スーパースター級まで成長した選手が少ないのが印象の弱さにつながっている。
9位:オリックス(738.4)
06~14年の9年間に限ると合計は105.2しかなく、長期低迷の要因になっていた。06年からは3年続けて1位指名した高校生が一軍にすら上がれないという悲惨な結果に。04年自由枠の金子千尋(139.8)らの頑張りも無駄になった。
だが、15年に1位で吉田正尚(195.7)、そして10位で杉本裕太郎(33.5)を指名したことが、21年の優勝につながった。対象年度がもう1年ずれていれば、16年1位の山岡泰輔(8.4)と4位の山本由伸(100.9)も入るため、もっと順位は上がっていただろう。
10位:中日(678.6)
大外れの年が少なく、PVが0だった年は08年のみ。落合博満GM(当時)が極端な即戦力ドラフトを展開し、ファンからの評判がすこぶる悪い14年も1.7はあった。ただし大当たりもほとんどなく、100以上の年は吉見一起(希望枠、90.4)と平田良介(高校1位、84.7)を指名した05年だけ。
とくに00年代は1位指名した選手が怪我などでほぼ総崩れで、現在の低迷を招く原因になっている。一方で、10年代に入ると大野雄大(10年1位、82.2)らが入団したことにより、チーム状態も少しずつ上向いてきた。
11位:ロッテ(675.1)
12位の楽天は04年に新規参入したため、事実上の最下位。対象期間中に100以上だった選手は、02年1位の西岡剛(152.5)のみ。11年も鈴木大地(3位/77.7)と益田直也(4位/49.3)の合計で100を超えたが、0に終わった年も4度ある。
03年6位の成瀬善久(59.8)、06年大学・社会人ドラフト7位の角中勝也(69.1)、08年育成5位の西野勇士(19.8)のように、下位指名の選手が大成するケースもいくつかあるが、上位でスーパースター級の選手を輩出できなかったことがこの順位につながった。
12位:楽天(531.7)
他球団に比べて歴史が浅いこともあって最下位に甘んじたが、1年あたりの平均PV44.3は中日やロッテを上回る。06年は田中将大(182.0)を4球団、13年も松井裕樹(71.9)を5球団の抽選で引き当てたようにクジ運も強い。
ただし、07~10年は4年続けて合計PVが0、100を超えた年も2度しかなく、強運の割に成果はそれほど上がっていない。なお、実質的な前身球団と言えなくもない近鉄の2000~03年の合計は28.2だった。
文●出野哲也
【著者プロフィール】
いでの・てつや。1970年生まれ。『スラッガー』で「ダークサイドMLB――“裏歴史の主人公たち”」を連載中。NBA専門誌『ダンクシュート』にも寄稿。著書に『メジャー・リーグ球団史』『プロ野球「ドラフト」総検証1965-』(いずれも言視舎)。
65年の第1回から現在までの総PVを計算すると、楽天を除く全球団ワーストの数字となるが、00~15年に限れば7位まで上昇。内川聖一(00年1位/69.1)をはじめ、村田修一(02年自由枠/151.2)、梶谷隆幸(06年高校3位/132.4)、筒香嘉智(09年1位/254.9)、宮﨑敏郎(12年6位/100.9)と、数年おきに好選手を輩出している。投手では山崎康晃(14年1位)の39.5が最多。
8位:阪神(849.1)
03年に自由枠で獲得した鳥谷敬が通算PV319.1と大成功。チーム単位でPV100以上を記録したのはこの年だけだが、ほぼ毎年何らかの形で戦力になった選手を指名できており、外れだったと言えるのは合計10未満に終わった07、11、14年くらい。
09年6位の原口文仁(32.9)、15年5位の青柳晃洋(46.0)のように下位から這い上がった選手もいるが、スーパースター級まで成長した選手が少ないのが印象の弱さにつながっている。
9位:オリックス(738.4)
06~14年の9年間に限ると合計は105.2しかなく、長期低迷の要因になっていた。06年からは3年続けて1位指名した高校生が一軍にすら上がれないという悲惨な結果に。04年自由枠の金子千尋(139.8)らの頑張りも無駄になった。
だが、15年に1位で吉田正尚(195.7)、そして10位で杉本裕太郎(33.5)を指名したことが、21年の優勝につながった。対象年度がもう1年ずれていれば、16年1位の山岡泰輔(8.4)と4位の山本由伸(100.9)も入るため、もっと順位は上がっていただろう。
10位:中日(678.6)
大外れの年が少なく、PVが0だった年は08年のみ。落合博満GM(当時)が極端な即戦力ドラフトを展開し、ファンからの評判がすこぶる悪い14年も1.7はあった。ただし大当たりもほとんどなく、100以上の年は吉見一起(希望枠、90.4)と平田良介(高校1位、84.7)を指名した05年だけ。
とくに00年代は1位指名した選手が怪我などでほぼ総崩れで、現在の低迷を招く原因になっている。一方で、10年代に入ると大野雄大(10年1位、82.2)らが入団したことにより、チーム状態も少しずつ上向いてきた。
11位:ロッテ(675.1)
12位の楽天は04年に新規参入したため、事実上の最下位。対象期間中に100以上だった選手は、02年1位の西岡剛(152.5)のみ。11年も鈴木大地(3位/77.7)と益田直也(4位/49.3)の合計で100を超えたが、0に終わった年も4度ある。
03年6位の成瀬善久(59.8)、06年大学・社会人ドラフト7位の角中勝也(69.1)、08年育成5位の西野勇士(19.8)のように、下位指名の選手が大成するケースもいくつかあるが、上位でスーパースター級の選手を輩出できなかったことがこの順位につながった。
12位:楽天(531.7)
他球団に比べて歴史が浅いこともあって最下位に甘んじたが、1年あたりの平均PV44.3は中日やロッテを上回る。06年は田中将大(182.0)を4球団、13年も松井裕樹(71.9)を5球団の抽選で引き当てたようにクジ運も強い。
ただし、07~10年は4年続けて合計PVが0、100を超えた年も2度しかなく、強運の割に成果はそれほど上がっていない。なお、実質的な前身球団と言えなくもない近鉄の2000~03年の合計は28.2だった。
文●出野哲也
【著者プロフィール】
いでの・てつや。1970年生まれ。『スラッガー』で「ダークサイドMLB――“裏歴史の主人公たち”」を連載中。NBA専門誌『ダンクシュート』にも寄稿。著書に『メジャー・リーグ球団史』『プロ野球「ドラフト」総検証1965-』(いずれも言視舎)。
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