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プロ野球

同世代の大谷翔平は遠い存在に。どん底を味わった北條史也が、いま牙を研ぐ理由「無理やったら終わり」

チャリコ遠藤

2022.02.24

高校時代には大谷(右)とともにU-18日本代表にもなった北條(左)。しかし、隣に居たはずの偉才はいまや遠い存在になってしまった。(C)Getty Images

高校時代には大谷(右)とともにU-18日本代表にもなった北條(左)。しかし、隣に居たはずの偉才はいまや遠い存在になってしまった。(C)Getty Images

 ずっと歯を食いしばってきた。高卒3年目の15年に1軍デビューを果たし、翌年には就任1年目だった当時の金本知憲監督の目に留まり、出場機会を得た。夏には不振で連続フルイニング出場が667試合でストップした鳥谷敬に替わる、遊撃手として定着。キャリア最多となる122試合に出場し、背番号1の“鉄人”の後継者として大きな期待を背負った。
【動画】虎党も熱狂するポテンシャル! 巨人戦で北條が見せつけた圧巻アーチ

 しかし、上昇の兆しを見せたキャリアの成長曲線はこの後、大きくゆがんでいく。自身初の開幕スタメンに名を連ねた17年は、持ち味の打撃が沈黙して6月には2軍に降格。83試合の出場にとどまり、半分腰をかけていたレギュラーの座から滑り落ちてしまった。

 追い打ちをかけたのが度重なる故障だった。18年9月14日のヤクルト戦(甲子園)で三遊間の打球にダイビングを試みた際に負傷し、担架に乗せられて球場を後にした。「左肩の亜脱臼」の重傷。シーズン途中に昇格し、打率.322と結果を出していた矢先の悲劇だった。

 北條が生きているのは、結果を残した強き者だけがのし上がるプロの世界だ。自身がもがき苦しむ間に同い歳の木浪聖也が台頭し、その木浪も1年目から盗塁王に輝いた中野拓夢の影に隠れてしまった。

 そんな激しい生存競争が日々繰り返される。昨春のキャンプ、北條が初日の守備練習で就いたのは一塁。二遊間の争いにも加われず「めちゃくちゃ悔しい」と唇をかんだ。9月には2軍戦で、ふたたび左肩を亜脱臼。何とか回復して臨んだ10月の教育リーグで再発し、プロでは初めて手術を受ける決断を下した。

 それでも、「今はおじいちゃんみたいなことしかできない」と苦笑いを浮かべて、ギプスで固定された左腕を見つめた目は死んではいなかった。メスを入れる時点で、大きな出遅れは覚悟。18年から苦しめられてきた古傷の完治こそが、逆襲への第一歩になると心に決めた。
 ファンはもちろん、誰よりも自分自身が期待していた「遊撃手・北條」へのこだわりも封印した。

「(守備位置も)ここでというのは、自分のなかでもあまりないので。だいたいはレギュラーとか決まっていると思うんで、そこに食い込んでいってチャンスも多くない立場ですし。少ないチャンスをしっかりものにしないと試合にも出れないと思う。無理やったら終わりです。それぐらい(の気持ち)です」

 大谷翔平、鈴木誠也ら同世代のライバルとして、かつては並列で語られてきたスラッガーたちは、気づけば、ずっと遠い存在になってしまった。ただ、北條が紡ぐストーリーはまだ終わっていない。彼はどん底から這い上がる“ハイライト”があると信じている。

 2軍監督時代から練習への真摯な姿勢や、負けん気の強さを目にしてきた矢野燿大監督は言う。「練習で手を抜くことなんて見たことないし、ジョーは(出番が来るまでの)準備とかそういうことをしっかりできる選手」。

 優先的にチャンスが与えられる立場ではなくなっても、来る“その時”に備えて牙をとぐことはできる。クビも覚悟して臨む、長いようで短い1年。プロ10年目は、北條史也がプロ野球選手としての「答え」を出す年になる。

取材・文●チャリコ遠藤

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