専門5誌オリジナル情報満載のスポーツ総合サイト

  • サッカーダイジェスト
  • WORLD SOCCER DIGEST
  • スマッシュ
  • DUNK SHOT
  • Slugger
MLB

異色のプロ野球人生を歩む「赤沼淳平」という男。コロナ禍による“空白の2年間”で沸いた渇望「チャンスですよ」

中島大輔

2022.03.22

高校時代に実績を残せなかった赤沼だが、ふとしたきっかけでアメリカへ飛ぶことを決めた。写真:西田泰輔

高校時代に実績を残せなかった赤沼だが、ふとしたきっかけでアメリカへ飛ぶことを決めた。写真:西田泰輔

 付属校ながら立命館大学に進学する気はなく、レベルの高い東京の大学に入りたいと考えた。しかし高校最後の夏は2回戦で敗退し、無名投手に声がかかるはずもなかった。

「そんなにプロになりたいんだったら、アメリカに行ってこい」

 当時の監督にあしらう感じで言われたが、赤沼は選択肢として考え始めた。入学までのルートを自分で調べ、英語を勉強し、親をプレゼンで説得する。駒澤大学附属苫小牧高校時代に2006年夏の甲子園準優勝メンバーだった鷲谷修也が進学し、ワシントン・ナショナルズから指名を受けたことから同じデザート短大に入学した。

 アメリカで待っていたのは、大きな出会いだった。大学1年秋学期(9~12月)を終えた後の春学期(1~5月)になり、元ニューヨーク・ヤンキースのアンソニー・クラゲットが投手コーチとしてやって来た。

「お前はプロに行けるから、野球を頑張って続けろよ」

 元大リーガーに多くを学ぶなか、とりわけ響いた言葉だった。デザート短大のレベルは決して高くなく、入学直後から主力として投げ始め、トレーニングの成果で最速148キロを計測した。

 夏休みに帰国すると、立命館高校時代の恩師で現在広島の武田高校を率いる岡嵜雄介監督から「いいトレーナーがいる」と前述の高島を紹介された。

「上から投げることにこだわらず、強く投げることが一番大事だよ」

 高島は<右足・左足><右手・左手><腹筋・背筋>のどちらが使いやすいかで選手をタイプ別に分類できるという「パフォーマンスライン」を持論に持っている。赤沼は実用書の影響で「軸足にためる」という“野球の基本”に則っていたが、高島の助言で「左足を使う」ように意識を変えた。さらにトレーニングと野球の動きを連動させて考えるようになり、飛躍のきっかけをつかんでいく。

 以前は肘を抜くような投げ方だったが、身体を動かしやすいように使うと自然に腕の位置が下がり、スリークオータよりさらに低いアングルに落ち着いた。ボールが動くようになり、球威も増していった。

「アメリカで『フラット』と表現されるストレートはあまりよくなくて、逆にいいのが『tail』とか『run』と言われるボール。僕はその辺が評価されています」

“尻尾”(tail)や“走る”(run)は、日本で言われる“動く球”のことだ。赤沼は日本で過ごした夏休みの3か月間で10キロ増量、トレーニングの成果もあって身体は大きくなり、柔軟性と操作性にも磨きをかけた。

「お前は運動センスがあるから俺と同じフィールドでやれる。もう少し野球をうまくなったら絶対上に行ける」

 大学2年時に野手コーチとしてやって来たメキシコ人のヘクター・サンチェスからそう言われた。トロント・ブルージェイズのコンディショニングコーチを経て、今はメキシコのプロ球団でコーチをしている。

 渡米以降、赤沼はさまざまな出会いを通じて自身を成長させた。2年でデザート短大を卒業し、3年からリー大学に編入する。4年時にMLBのドラフトで指名はかからず、独立リーグ経由で夢を追いかけることにした。
 
NEXT
PAGE

RECOMMENDオススメ情報

MAGAZINE雑誌最新号