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プロ野球

“未完の天才”高橋由伸、“幻のミスター・タイガース”濱中治――プロ3年間で3度長期離脱の石川昂弥に重なる悲運の強打者たち<SLUGGER>

SLUGGER編集部

2022.06.06

▼多村仁志(元DeNAほか)
 多村を語るうえでのキーワードは2つある。ひとつは「メジャーに最も近い日本人選手」。昨季、MLBで首位打者を獲得したユリ・グリエルも、DeNA時代に多村の高い身体能力を絶賛していたほどである。そしてもうひとつは、「スペランカー」というありがたくないニックネーム。主人公がちょっとしたことで死亡してしまうテレビゲームに由来するこのフレーズは、故障が多かった多村の代名詞となっている。

 94年のドラフト4位で地元横浜高から横浜に入団し、3年目の97年に一軍デビュー。この年は18試合に出場するも、バックホームの際に肩を捻って腱板を損傷し、リハビリに2年を要する重傷を負うなど、最初から怪我が付きまとっていた。04年のキャンプ終了直前には、なんとポスターの撮影でジャンプした際に捻挫してしまう騒動もあった。

 ただこの年、多村は初の規定打席に到達し、球団史上初めて打率3割・40本塁打・100打点をクリアするという素晴らしい成績を残す。翌年も3割・30本塁打をクリア、06年には第1回WBC日本代表に選ばれるなど、球界を代表するプレーヤーの一人となった。

 だが、いわゆる“スペランカー体質”はその後も変わることがなかった。07年からはソフトバンクに移籍。主力として活躍する一方、故障や疲労による欠場が相変わらず多かった。11年以降は出場機会が急激に減少し、13年には古巣DeNA、16年に中日と渡り歩いて同年限りで引退した。

 22年の長きにわたってプレーしながら、通算1162安打、195本塁打はやや物足りない印象も与える。同時に、まさにメジャーリーガーのようなスケールの大きいプレーは多くのファンの脳裏に焼き付いているはずだ。
 
▼濱中治(元阪神)
 濱中は、長らく空席となっていた“ミスタータイガース”を継ぐはずの男だった。

 97年には、阪神では掛布雅之以来となる高卒新人スタメン出場。その後は一軍と二軍の往復が続いたが、01年に甲子園で放ったプロ初本塁打は何と逆転サヨナラ3ランという千両役者ぶりを発揮した。この年から2年連続で2ケタ本塁打をクリアし、03年は開幕から4番に抜擢。その期待に応え、最初の37試合で11本塁打を量産して虎ファンを歓喜させた。

 だが、事件が起こったのはその矢先だった。5月20日の広島戦で一塁に帰塁した際に右肩を突いて負傷してしまう。にもかかわらず、完治しないまま出場を強行した結果、6月半ばに今度は同じ箇所を脱臼して状態が大きく悪化。翌年にかけて何度も手術を要するほどの重傷となってしまった。06年には田淵幸一の指導で「うねり打法」を身に着け、139試合に出場して打率302、20本塁打と復活したかに見えたが、翌年は一転して大不振に苦しんだ。

 08年からはオリックスへトレード移籍して一時はレギュラーをつかみかけるも、セ・リーグとの配球の違いに苦しんで成績を残せず、11年にヤクルトで引退。15年のプロ生活で残した通算580安打、85本塁打は、若手時代の期待を思えば物寂しさを覚えずにはいられない。

 故障に苦しみ、本来の才能をフルに発揮できなかった選手がいる一方で、アキレス腱断裂を乗り越えて歴代3位の通算567本塁打を放った門田博光や、死球による怪我を繰り返しながらも一流の成績を残した田淵幸一のような例もある。石川も同じように復活して、再び和製大砲としての道を歩んでほしい。

構成●SLUGGER編集部

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