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MLB

NPBが“メジャーリーガー再生工場”になるまで——助っ人外国人選手“武者修行”の歴史

2019.12.17

 最初の大成功例はセシル・フィルダーだろう。85年にブルージェイズでメジャー昇格を果たしたが、同じ一塁やDHには、のちに2度の本塁打王に輝くフレッド・マグリフら手強いライバルがいたため出場機会に恵まれず、89年に阪神へ入団した。

 背番号はあのランディ・バースが着けた44が用意されたが、“バースの再来”としては珍しく期待に応えた。9月中旬までに38本塁打を放ち、ホームラン王争いのトップを独走していたが、三振を喫した腹いせにたたきつけたバットが跳ね返って手に当たり骨折。タイトルは逃した。オフにメジャーの複数球団からオファーをもらい、阪神ではなくデトロイトの方のタイガースに移籍。ファーストのレギュラーを奪取するといきなり51本塁打でホームラン王に輝くなど、2度の本塁打王と3度の打点王に輝いた。
 
 フィルダーを皮切りに、90年代以降は徐々に“出戻り”で活躍する助っ人が増え始めた。目立つところでは、93年に中日に在籍したマット・ステアーズ。日本では振るわなかったものの、帰国後にアスレティックスで外野のレギュラーに定着。その後17年で11球団を渡り歩き、メジャー通算1366安打、265本塁打を記録した。また2008~09年に広島でプレーしたコルビー・ルイスは、帰国後にレンジャーズのエースとなった。

 このオフも、「逆輸入」の形でメジャーに戻るのはロドリゲスだけではなさそうだ。今季、阪神で55試合に登板して防御率1.38と活躍したピアース・ジョンソンにも、メジャー複数球団が興味を示しているという。ロドリゲスもジョンソンも、日本に来る前の段階ではいわゆる「4Aレベル」の選手と見られていた。それが、日本で実績を残すことで市場価値を高め、以前は望めなかった条件を得てMLBに戻ろうとしている。この流れは、今後も続くことだろう。

文●筒居一孝(スラッガー編集部)

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