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MLB

ベーブ・ルースのサイン入りボールに娘の大学進学基金設立を申し出た例も――MLBの「背番号へのお返し」はこんなに面白い<SLUGGER>

SLUGGER編集部

2023.12.26

▼背番号の代わりに大学進学基金を設立

 お金でもモノでもなく、最上の誠意でもって背番号に報いた例もある。100マイルの荒れ球で打者をきりきり舞いさせ、通算164勝を挙げた剛腕AJ・バーネットが、12年にパイレーツに加入した時のことだ。彼がずっと着けていた34番(同じく剛腕で知られたノーラン・ライアンの背番号としても知られる)は、ダニエル・マッカッチェンという平凡な中継ぎ投手が着けていた。

 マッカッチェンの奥さんが女の子の出産を間近にしていると聞いたバーネットは「背番号の代わりに娘さんのための基金を設立し、大学の費用をそこから負担できるようにする」と申し出た。マッカッチェンのキャリアは2年後の14年に終わり、メジャー経験はたった5年。その後は洗車場で働いているという。将来、バーネットの基金は大いに助けとなることだろう。
 
▼「女房は貸してもいいが、背番号は譲らねえ!」

 ここまでは、対価はどうあれ最終的に譲られた話をしてきたが、どんな贈り物を提示されても頑として背番号譲渡に応じなかった男もいる。89年7月、前年のサイ・ヤング賞投手フランク・バイオーラがツインズからメッツにトレードで移籍した。82年のデビュー以来、バイオーラがずっと愛着を持っていた16番をメッツで着けていたのは、当時24歳ながらすでにエースとしての地位を確立していたドワイト・グッデンだった。

 バイオーラはグッデンに背番号を譲ってくれないかと持ちかけたのだが、交渉は不調に終わった。バイオーラが何を贈ると言っても、グッデンは「オレのロッカーなら使ってもいいし、ニューヨークで最高のレストランに連れて行ってやってもいい。望むならオレの女房だって貸してやるさ。だが、背番号だけは絶対に譲らん」と断固拒否したのだ。やむなくバイオーラは空いていた26番を着けることとなった。

構成●SLUGGER編集部

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